Music Cafe OOH-LA-LA 2
プロでなくても伝説はできる。
最低限の挨拶さえあればいい。
同店のオーナー小原氏が言う「見せ物小屋」に必要なものは、では何なのだろう? 「『宜しくお願いしま~す』と『ありがとうございました~』さえ言えればえぇんちゃう? 自分らが人に見せて恥ずかしくないって思えるレベルでできてたら、人にどうのこうの言われる必要もないと思うし、自分たちで納得がいかなければライヴハウスとかお客さんやタイバン相手に意見を訊くのも手やし。(磔磔の)水島さんにしろ、(拾得の)テリーさんにしろ、訊いたって『なんでオレに訊くねん?』って言われて終わりやん(笑)。『ドラムがちょっとなぁ』とこっちが思っても、『練習やれるだけやってんねんから、ガタガタ言うなや』ってなるやろし(笑)。ただなぁ、最近の若いコはノルマ制のとこばっかりでやってるからかもしれんけど、『ノルマないのに何で客を呼ばなアカンねん?』って逆ギレや。(観客が)3人とか5人とか、あまりにもヒドイねんかぁ。そういう形があった方が出やすいみたいやね。せやから今年の4月からとりあえず、最初だけ様子を見るのにノルマ制にした」。
ステージに出るのに、「いくらですか?」ではなく、「何人集めたらいいですか?」であろう、と。以前に他のライヴハウスで伺った話をぶつけると、「うんうんうん」と大きく頷いたうえで、「それ以前に、何しに来てんの?っちゅう話」。
スタジオで練習をした。ステージに出た。その差は何か。人前かどうかである。「人に観てもらいたいしやろ? タイバン3つ集まって、どっこも客を呼ばへんかったら誰もいぃひんやん。『自分はミュージシャンです』って言える言えへんの境目はどこやっていう話で、それは『いつでも人に観てもらえる場を確保できる』ことちゃう? 今、日本の頂点はスマップですわ。音楽的なパフォーマンスを言うたら、彼らより優れたヤツは腐るほどおる。『何が違うねん?』っていうたら『動員力』。面白いか面白くないかは、人それぞれの価値観として、スマップがどれほどスゴイかっていうのは、それだけの動員力を持ってるということやん。自分が動いたときに、身内であろうが他人であろうが『人に観てもらえる力』を持っているかどうか。それがなければ子供の前で『パパ昔ギターやってたんや』と言うてるのと何も変わらへん。何かのオーディションに受かった。メジャーデビューもした。でも2年で契約が切れた。そんなヤツはゴマンといてる。確かに上手い。メジャーデビューもしたかもしらん。でも客は来ぃひんでは、僕はミュージシャンともプロとも思わへん。逆にプロとかメジャーとか全然関係ないところで売れてるヤツっていうのは、伝説っていうのを生んでんねん。『オマエがやるならいつでも観に行くわ』っちゅうヤツがまわりに何百おってみ?ちゅう話。まず業者が放っておかへん。いつでもプロになれる。音楽なんかできんでも、1時間ずぅ~っと人を笑わせられるヤツがおったら、そいつは自然に有名になっていく」。
毎日やってナンボ、と思っている。
ほぼ実践しているのは凄いと思うのだが…。
本コーナーではライヴハウスとは「音楽の底辺を支える存在である」という言い方をしてきた。取材の都度、実感するからだ。マジソンスクエアガーデンや、東京ドームや大阪城ホール、京都会館に、野外フェス会場はピラミッドの頂点であり、その下の数多のライヴハウスに支えられている。ヨーロッパや南米のクラブチームの下部組織や、子供たちが裸足でサッカーボールを蹴っている空き地や街角と同じだ。
「僕らの考え方としては、いつも無料やったら『面白くなかったら帰れよ』と言えるけど、例え500円でもお金をとってる以上は、ほんまはとりたくないけど、1000円とったら1000円以上のものを演ってくれんとねぇ?」。それは心構えということ以前に、マナー的なことだ。イコールで結ばれるべきものかもしれない。「ビジネス云々じゃなくて、『これやったら家で飲んでる方がマシやったなぁ』と思われるようなヤツは出したくないよなぁ」という指針でもって、ほぼライヴは毎日があるのは立派なものである。
ライヴがなければ店は開けない。「開けたって入らへんもん(笑)。そらオープン当初はブッキングもイチからやし、(出てくれる)知り合いもそんなにないし、いてもそんなにしょっちゅうはムリやし、100も200もバンドを知ってるわけでもないし。今でこそほぼ毎日できてるけど、それでも月に3日とか4日とかは空いてくる。やっぱりライヴハウスは毎日稼働してな意味がないんちゃうかなと思うけどね」。3~4日の休業日では、まだまだ。そんな風に考えている。
目立ちたがりは、いるんちゃうの?
京都人とか、そういうの関係なく。
伺う話の全てにおいて、京都も大阪も東京も札幌も沖縄も関係ないという感想を受ける。土地柄を論じても詮がない。誰だって同じだ、という風である。「あまり人前に立ちたがらない」という気質が京都にもしあったとしたら?とぶつけてみても、「目立ちたがりなんて、どこにでもいるもんちゃうん?(笑)」。同コーナーで何度も引き合いに出してきた、九州のライヴハウス事情を例にとって、重ねて訊いてみた。「そやなぁ、九州は熱いなぁ。京都はそうやなぁ、人に声をかけたりすることが、悪いことのように思うっていうのは、あるかもしれんね。根暗な感じ。趣味が同じヤツとしかツルまない? なるほどねぇ。逆の言い方というか、ライヴハウスをやってる立場としては、それって一番のマイナス要因やね。新しいモンが入って来ぃひんもんな、最悪やな。そんな環境でなんぼライヴをやってもなぁ。認めてくれる人がいたって、本人にその気がなかったらなぁ。はじめの一歩は自分の努力やん? 一人の客が『面白かったし、次は誰かを連れていこう』となっていくわけやから」。集められる人がいて、サポートをしてくれる人ができれば自ずと規模は大きくなる。事務所やマネージメントというサポート役がまた、人を集めてもくれる。だが逆に、どれだけ大きなサポートがあったとしても、人を集める気も集める力もない人間はミュージシャンではないしプロではないし、いられない。それはぽっと出の中学生上がりも、30年選手のベテランも変わらない。「京都の出身やったら『くるり』か。ウチはあんまりメジャーなバンドは来てないけど、『アジカン』は来たことがある、彼らだって一緒やん。僕はそう思うけどねぇ」。信じていることがあるから、一般論は気にならないし、特に不都合は感じていない。そんな気概が伝わってくる。きっと、一途なんだろう。
次のヤツはなんぼでも出てくるよ。
ただ、続けて欲しいとは思うねぇ。
良いミュージシャンやプロはどの街から出てきてくれたって構わない。「出てくると思うよ。いくらでも。ただ続けられるかどうかやね。何回ライヴをやっても、結局客が『集まらへん』っていうバンドは勝手に解散していくよ。売れてるか売れてへんかなんて関係ないんよ。ライヴが終わってCD売ったり、目が合った人には『あぁどうも』って一言かけたり。遠藤ミチロウだってやってるねんで。人間やもん。気ぃよぉしてもろたら、『あぁ次も観に来たろか』って思うやん。それは音楽じゃなくても、服の販売でも一緒やん。人としてのつながりの基本やん。愛想の悪い服屋で服買おうとは思わへんし、愛想の悪いバーで酒飲もうとも思わへんし。そんなことができるのはスマップぐらいになってからやっちゅうねん(笑)。スマップだってきっとみんな愛想えぇで?(笑)」。
「自分が面白いことをやってると思ってても、道ばたで『来て下さい』て声かけても難しいわな。そしたらいつ客を集めるねん? て言うたらライヴが終わった直後や。出演者は解ってなくても、観てる方は『あ、ヴォーカルの人や』って解るし、目ぇ見たら『ちょっと自分に興味あるな』ってのも解るやん?(笑)ライヴが終わった瞬間、出てたヤツはスーパースターや。けど次の日になったら誰も憶えてへんって。僕に言わしたらライヴ終わりなんて『引っかけまくれ!』っていう話や(笑)。自分らのバンドの動員が悪かったらタイバンの客なんて一番の客やん(笑)。だからライヴ直後の愛想のひとつが大事やねん。ライヴが終わって『ありがとう』もない、知らぁん顔して帰るヤツに何ができるっちゅう話よ。もし(気質のせいで)それをせぇへんのが京都やったら最悪よな。九州では学校の先生もハコも生徒も、開放的になって土壌ができてるんやろうしね」。
育った拾得や磔磔のような、ちょっとした緊張感があるハコであっても、「ありがとう」の気持ちは絶対に持っていると思う、とも。ステージを降りたらムチャクチャいい人が多いとも。「灰野ケイジって知ってる? やってる音楽は気持ち悪いし、ステージでは何をやってるかわからんようなイメージの人でも、ムチャクチャ愛想えぇねんかぁ(笑)。 変にえぇ人やねん(笑)。 『明日誰かヒマな人いないかなぁ? 誰か僕と遊んでくれる人いないかなぁ?』って、そんなんやで?(笑)」。
ここは、出会いを求めてくるところ。
対象が音か女の子か出演者かの違いだけ。
「例えばローリングストーンズが『CBGB』というハコに出てた。『CBGB』ってのは女の子をハントするとこやねん。そうやって楽しみに来るところや。その通りであって、出会いを求めて来てるねん。それが原点。その『出会い』ってのが音であったり笑いであったり、女の子であったり出演者だったりする。日々の仕事なんて面白くないやん? だからそういう出会いの場所に何か新しくて、自分が面白いと思える刺激が欲しいと思う。そのために飲み食いできる場所。そうありたいと思う。ライヴが終わってすぐ吐き出すってのは、僕から言わせりゃ常識はずれやなぁ。ゆっくりできるからこそ、ライヴが終わって『あぁどうも』の一言とか、『ライヴ、良かったし一杯どう?』っていう会話が成り立つ環境がライヴハウスなんちゃうかなぁ」。
ミュージックシーン、というのが同コーナーのテーマだ。その原点もそこにある、と。恐らく、理詰めや長い言葉でもって、説明をするのは、決してお得意ではないだろう。それを一所懸命に付き合って下さったことをありがたく思う。
30余年前の、’70年代の京都で、小原増男氏という個人としてインタビューをしたならば、拾得や磔磔の楽しみ方を知っている人、と紹介しただろう。今までに、同コーナーでその楽しみ方を過去のものとして扱ったことを、少し反省する。観る側としてだけでなく、その場を提供する立場で、それを体現している人がここにいる。
「ウチは全国からのバンドがすごく多い。ジャンルにこだわったり、形にこだわったりすること自体が、オレは好きじゃないし、形にこだわることによって狭くしていると思うし。何やかんやジャンルで分けたがるのはCD探すときにある程度ジャンル分けされてないと『見つけにくいやん!』っていうのと同じなんかなぁ?」。「京都系」と呼ばれるものも、ひとつのジャンルである。だから、気にしない。というか「京都系」というもの自体が何か知らない。興味がない。では京都でなくても良かったのでは?と思わなくもない。「(京都がイケズやとして)地方に行ったらえぇ人多いように思うけど、騙されたこともナンボでもあるしなぁ(笑)。それはそいつの性格やと思うねん。それに、足下も固まらへんのに、っていうのはある。大阪とか東京とか言うても、京都知らんのにンなとこでできるかいっ、ってなるしな」。
逆に小原氏からの質問が多くなり、徐々にほぐれて笑顔が増えていく。けれど言葉には熱が溜まっていく。「訊かれたから答えただけで、毎回誰にでも言うてるわけちゃうで(笑)」。ごもっともだ。でも、こうやって、少しずつ馴染んでいくのが、きっとこの店のやり方なんだろう。男と生まれたからには、野望があって然るべし。「誰にでもあるんとちゃうん?」という小原氏の野望は、予定よりも早く形になった。50歳に近くなった今、60歳になったときの野望がある。
読者の方々の中で、仕事に追われて弾かなくなったギターを持っている方がいて、それでも弾けば「いつでも人が呼べる」という自信がある方は、この店のドアを開けてみて欲しい。最低の敬意さえあれば、喋り方がどうであってもいい。「ライヴハウスって良いもんだ」と、改めて思えるんじゃないだろうか。