MUSE 2

改めて「ホール」の意味を考える。
それは「ハウス」とは違うのか?
 「Hall of Famer」という言葉がある。「殿堂入りした人」という意味だ。ちなみに殿堂を「Hall of Fame」と言う。「殿堂」とはそもそもは神仏を祀る建物であり、転じてスポーツ界など、各界で後世に残る記録を残したり、活躍をした人物を讃える場合に使われる言葉として、今は馴染み深い。いずれにせよ、神聖不可侵な場所という意味で変わりはない。
 今回の「KYOTO MUSE」を取材して、この「Hall」という言葉の意味を改めて考えさせられた。直訳すれば「公会堂」。文字通り、公的な場所という意味合いが強い。「渋谷公会堂」「大阪城ホール」…。およそ公会堂とか、ホールとかがつく名前は、どれも大規模で、ライヴというよりコンサートが行われる場所という感じがする。ライヴと言えば「ホール」ではなく「ハウス」である。つまり「家」。「ホール」とは音楽を演じる者と、聴く者が集う場所として「家」ではなく「公会堂」である訳だ。良くも悪くも硬質な同店の雰囲気は、「公会堂」と思えば得心する。それは何者にも染められない強さであると同時に、無機質なイメージを醸す。「HALL」という、よりパブリックなスタンスをとるためには、性格を見えにくくする必要もあっただろう。店ではあるが、その「人となりが出ない」。それはブッキングディレクターの行貞氏も感じていたことであった。
ホールの字が取れて
これからミューズが目指すもの
 ところが先頃、同店から「HALL」の言葉がとれた。現在の正式な呼称は「KYOTO MUSE」である。現在は(株)アームエンタープライズがプロデュースだけでなく、マネージメントも含めて運営するライヴハウスとなったのである。
 「近鉄バファローズのポスターを貼ったんですよ。『近鉄ファンがおるんや』と思ってもらえれば、今までよりもっと人間味を感じてもらえるかなと(笑)」。同店のオープン当時はまだ中学生、ブルーハーツらに影響を受け、バンドを始めた行貞氏にとって、ライヴハウスとは「そこへ向かうのにドキドキする場所」という絶対の定義がある。世代的にも、「ウーピーズ」の回で紹介したような感想も、現場でヒシヒシと感じている。つまり「コピーバンドのプロ化」である。行貞氏も「あ、この子たちはグレイを聴いて育ったんだな」「ハイスタを聴いて育ったんだな」というルーツがやはり解ってしまうという。「でもそれが『果たしていけないことなんでしょうか?』と聞かれたら答えられませんからね」。そうなのである。商業的に成り立つならば、それもまた正なのだ。「結局は演ずる側の満足度なんでしょうね。今は自分のCDだって簡単につくれる。ライヴをするにしても、フライヤーだって簡単につくれる。これが15年前だったら、ものすごく難しい目標だった訳ですから。それが今は本当に簡単にできる。すぐ満足を得てしまうんです」。市販のPCで、ひとりでも打ち込みとミキシングでCDがつくれてしまう時代である。昔なら果てしない階段が、今は一歩で登れる高さになった。ならばその時代のニーズを掴む必要がある。
出演バンドとライヴハウスと、
その需給バランスの前にあるもの。
 同氏は続ける。「もうライヴハウスがバンドを選ぶ時代じゃないんです。幸い京都は大阪ほど数はありませんが、これだけライヴハウスが(もしくはライヴをできる場所が)増えて、バンドの数は減っていって。バンドがライヴハウスを選ぶ時代なんです」。(株)アームエンタープライズの岸本社長がこの業界へ足を踏み出した頃から30余年を経て、何と市場の需給バランスは逆転してしまったというのだ。「少なくとも僕がブッキングディレクターになってからは、(試聴用のデモ)テープを持ってきた人で出てもらわなかったバンドはありませんし、基本的に来る者は拒まずです。その上でブッキングディレクターとしてのカラーを出していきたい」。
 同店のマネージャー、村井千慧子氏もその現状は受け止めている。「結局は内容なんです。興味を持ってもらう、『出たい』と思わせる内容と音が揃っていればいいんです。京都は観光地でもあり、『京都ならでは』という趣や雰囲気で小屋を選ぶということはあるかもしれませんが、ステージが低い方が良いというバンドもいれば、逆に高い方が気持ちいいと(同店を)気に入ってくれるバンドもありますから」。いずれにせよ、観る側、聴く側に満足度を与えることがライヴハウスとしての役目であることに変わりはなく、その為の努力も他と変わるわけではない。目的は常に同じだ。
 結果、今では「ヴィジュアル系ライヴハウス」というイメージは激減したと思う。そしてさらに、行貞氏は「あと15年は続けたい」と言う。「『拾得』さんや『磔磔』さんのように飲食店ではありませんし、カラーが出たと言っても『メトロ』さんほど明確なものではないかもしれないけど、これまでのウチの15年の歴史を振り返ってみて、これからもずっと続けなアカンと思うんです」。もちろん、それを自らが成すという気概である。
バンドやミュージシャンに接する、
その方法は、やはり千差万別である。
 「VOX HALL」ではバンドはガミガミ言われる。「WHOOPEE’S」でも同じように怒られたり、諭されたりする。その点、行貞氏はその傾向が比較的薄いという。むしろダメ出しよりも褒めるタイプだと。これを、バンドを育てることから逃げているのかもしれない、と考えるところに、行貞氏やひいては同店の優しさと生真面目さが伝わるのである。これも同コーナーで何度も言ってきたことだが、人が奏でる音楽に、信じる音楽に善悪はない。たとえその思惑が浅はかなものだったとしても、「間違っている」と言い切れる第三者は存在し得ない。だから今までの歴史を振り返っても、「どうしていろいろなジャンルをやってこなかったんだ」と言うことをしない。「いちブッキングマネージャーが、バンドの方向性に口を出して果たして良いのだろうかと思ってしまうんですね。ライヴの出来・不出来に関しては言及しますが、アレンジや選曲には口は出しません。残念ですけど、自分が(もしくは同店が)バンドの面倒を一生見ていけるわけではないですから」と言う。この価値観、この行動理念がガミガミ言うことに劣るかと言えば、全くそんなことはない。この尽きぬ悩みは、自分に向けたものではないのだ。それはこれから巣立っていくバンドやミュージシャンへの心遣いであり、気遣いであり、心配であり慮りであり、親切であり、そして優しさだ。でなければ、ライヴハウスとともにスタジオまで設ける必要などないのだから。ライヴハウスの上階に位置するスタジオには若者だけではなく年配の馴染み客もおり、立派なサロンとして機能している。
 同店のスタッフの朗らかさ、礼儀の正しさ、導き出せるキャラクターはこの「優しさ」であろう。もちろん同コーナーで既に紹介したライヴハウスの数々が優しくないわけでもないし、同店に厳しさが無いわけでもない。駆け出しから大物まで、バンドやミュージシャンと接していく以上、そのどちらもを要求される。それがここでは、比較的に優しい部分が多いのではないか、ということである。
時はめぐり、今は輪廻の時。
今月、15歳の誕生日を機に…。
 行貞氏はアルバイトから同店に関わるようになった。小学校6年生で「ブルーハーツ」に出会い、「クラッシュ」や「ラモーンズ」といったパンクロックやスカ、レゲエに傾倒し、バンドも組んだ。高校から大学ではラグビーに明け暮れ、体育会系の縦組織も味わった。そして今の考え方がある。
 「35歳まで、京都でやらして欲しい」。3~4年周期でブッキングマネージャーがかわってきたライヴハウスに、転換期を持ち込もうと考えている。現在28歳。これから7年、同店のシステムで言う2クール分の期間でそれを成そうと考えている。
 「京都は変わらない方が良いと少なからず思うんです」。それは15年に及ぶ同店の歴史を考えたからであり、京都という土地を見てきたからである。
 氏の思惑どおりになり、7年後、次の世代に繋いで、さらに7~8年経てば目標の「あと15年」である。それはすなわち、’90年の誕生以来、同店の30周年の節目にあたる。それは「拾得」や「磔磔」が、現在まで歩んできた歴史と同じだ。考えれてみれば、今の同店の歴史は、同店ができた頃の「拾得」や「磔磔」の歴史の長さと同じなのだ。
 数あるライヴハウスそれぞれに性格がある以上、彼我の差を論ずるのは意味がないかもしれないが、京都において「銘店」と今も呼ばれ続けるライヴハウスと堂々と肩を並べ、そして今以上に、京都のミュージックシーンを支え続ける存在になるかどうか、これからがその正念場という覚悟なのである。
 奇しくも今月、4月3日から、来月5月1日は同店15周年記念イベント期間となる。最終日のスペシャルゲストにシーナ&ザ・ロケッツらとともに名を連ねるウルフルズのウルフルケイスケ氏などは、特に喜んで同イベントに参加する返事をくれたという。そして今月の28日、15周年ピッタリの日には、15年前のオープン日に「TROJANS & KAJA’S SEXY KANGOZ」としてこのステージに立ち、後日、そのブッキングを知った行貞氏が「 ( そのブッキングが可能な) すごいライヴハウスやん」と思ったスカの大物、「GAZ MAYALL」がロンドンからやって来る。
 その日はもしかすると、15年周期の輪廻のような、同店の新たなスタートになるのかもしれない。