拾得 2

 さて、その名の由来としては、森鴎外の作品「寒山拾得」にも詳しいというこの「コーヒーハウス拾得」。同様に、ビートニクの小説家、「ジャック・ケロワック(ケルアック)」という人物の作品「The Dharma Bums(邦題:禅ヒッピー)」の中にも、その寒山拾得について書かれた件があり、さらに作中のジャフィーという登場人物が、当時大徳寺近辺に住んでいた「ゲイリー・シュナイダー」その人だ、という事が解った。
 「ビートニク」とは、’50年代、「ビート族」と呼ばれたカウンターカルチャーの最先端にいた人物たちや、その文化の総称として使われる言葉である。これが今に繋がるポップ・カルチャーの源とも評される。その核となった作家がアレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズ、そしてジャック・ケロワックの三名だった。
 「ゲイリー・シュナイダー」とは、ジャック・ケロワックにとっては仏教や東洋思想については師とも呼べる人物で、ビートの精神的中心人物だった。現在では米国を代表するエコロジストで、詩人としてピューリッツアー賞も受けている。
 「(店名を)『イエローサブマリン』にしようか、という話もあったんですけどね(笑)」。ともあれ、そういった時代背景、時代環境の中で「拾得」はその歴史の幕を上げた。そして、元々がミュージシャンとして充分に名を馳せていたテリー氏のもとに、様々な仲間が集まる。曰く「コミュニティ」の場所として。本格派GSグループ「ダイナマイツ」の、そして後の「村八分」の伝説的なギタリスト山口富士夫、リリィ、手塚治虫の作品「千夜一夜物語」のサウンドトラックを一手に引き受けたヘルプフルソウル…、といったメンバーであった。「未だに本名を知らないビッグネームもいます(笑)」といった感じだったそうだ。当時の拾得は、「今よりも2倍ぐらいの大きさがあったんです。ギャラリーや、雑貨も扱ってたし、玉突き台も3台、もちろんライブもあったけれども、総合的なことの中の一部、という感じでした」。あくまで音楽は店の性格の一部分であるというスタンスだ。2Fには、当時はまだ今よりもはるかにデッキが大型だった頃にして、既にビデオ制作のチームもいたという。当時のスタッフの中には、大手のテレビ局に職を得た者もいるというが、その消息は定かではないらしい。ラディカルで、本格志向も伝わってくるが、様々な要素を内包した「コーヒーハウス」の中で、結果的に「音」が残った。
 
 
 そして今、「拾得」と言えば、少々音楽をかじった人間ならば、そのステージに立つことは一つの憧れでもあろう。「ステージに立つための審査が厳しく、デモテープを持ち込んで気に入られないと叶わない」。風評か都市伝説か、そんな風に語られる「ライブハウス」のイメージとしてこの店はある。厳しいハードルが待ちかまえる、ルールに縛られた場所のようだが、これまでのコメントにあるように、テリー氏はフラットでリベラルな人物である。確かに厳しい審査はある。だが当の氏の言葉にすればこういうことだ。「プロ・アマ問わず、実際音源は聴かせてもらいます。でもそれは上手い・下手を聴くのではなく、イヤイヤやってそうなのはダメというだけのことで(笑)。要は情熱の邪魔をしたくない、というのが基本姿勢なんですね。下手でもいい。下手でもまわりが慣れるだろう、と(笑)。昔、『パワーハウスブルースバンド』というバンドの出演を断ったのは後悔してますけど(笑)。何かこちらがシステムを押しつけられるような気がしたんで(笑)」。とまぁ、こんな感じだ。

 30年以上前から、基本的に店を運営する「気概」というと大げさだが、気持ちに変わりがない。高い純度で当時の価値観が残っているのだ。敢えて「ライブハウス」と呼称するが、このライブハウスには、だから「展望」といったものがない。今、目の前に見えている面白いものには、常に門戸が開かれている。こういう言い方をすると少しズレてしまうだろうか。
 「今の若い人を見ていると、『上手になったな』と思います。迷いがない。昔は全てが手探りで、迷いばかりだった。今は選ぶものに間違いがない」。人気のヴィジュアル系とやら。そのハシリはT・レックスやデヴィッド・ボウイらのグラムロックだっただろう。「グラムロックの人たちも、ボードビリアン出身みたいな人が多かったですよね。源流はフォークと同じなんでしょうか、道ばたでやってる人が多かった。何というか、舞台魂みたいなものを感じる人が。’70年代は、言ってみれば横柄な時代だったのかもしれません」。

 30年前の当時、「拾得」に集った人々は、多くは長髪で、いわゆるヒッピーというイメージで、「詩を読んで笑ってる」という雰囲気だった。それは「賁」の頃と変わるものではなかったという。今語られる「ヒッピー」や「フラワームーブメント」というもの。それはあまりにいろいろな意味を含みすぎて、正しい形が見えにくくなっている。そのことについてテリー氏がさりげなく発した言葉は実に的を射ており、真実を言い当てていた。
 「(今の)『ロック』という言葉と、同じですね」。