a gateway to success 2

 京都のライヴハウスの黎明、そして登竜門。
先月に引き続き、木村英輝氏は続ける。
「『ダウンビート』なんかは完全にジャズ喫茶やからね。ライヴハウスとは違う。あのストーンズの『スティッキーフィンガーズ』が2万枚売れてベストセラーと言われたような時代なんやから、買いにいっても売ってない。ロックが聴きたければ『縄文』に聴きに行くしかないわけ。要は洋楽に関する情報が圧倒的に少ないから、外に聞きに行くしかない。だから米軍基地の近所に住んでたヤツなら、米軍に届く周波数に合わせてラジオが聴けた。だから洋楽に詳しくなれたんやな」。京都にそんな伝播があったとしたら、カトマンドゥあたりから流れて、京都に立ち寄ったヒッピーが大切に持っていたレコードなど、氏が「至ってパーソナルな情報」と称する音に頼るしかなかったという。伝説として、店名だけが残る場合、いったいその店々の本質が何であったのか、それが風化している。これが危険な伝わり方なのだ。
 木村氏はさらに述懐する。「富士オデッセイ(次号以降で紹介)をやろうという時に、ビートルズのファンクラブを探した。確か銀座方面やったと思う。ようやく見つけて、今度はストーンズのファンクラブも当たってみようということになった。ビートルズのファンクラブの連中に尋ねてみると、『私達です』という(笑)」。とかく両極端として比較されるビートルズとストーンズのファンクラブの面子が同じだというとんでもない話。’60年代末の話である。当時は実はその程度の洋楽の浸透具合だったのだ。

 論点を元に戻す。登竜門としてのライヴハウス。GS(グループサウンズ)にしろ何にしろ、当時、音楽でメシを食うということはつまり、人が作った歌を唄う、ということだった。「作曲家協会に加盟している人の曲を唄う、オーケストラの前で唄うということ」だったというのだ。それは「芸能界に所属している」という事だ。岡林信康は今でいうストリート・パフォーマンスのような形で自ら作った曲を唄った。「芸能プロダクションは『商売にならん』と言う。だから手を出さない」。著作権=ビジネス。それは「レコードを売る」ということだった。スパイダースのドラマーは後に田辺エージェンシーを設立。自らがプロダクションとして立った。ジャニーズも同様、その権勢は今に続く。

そしてプレイヤーたちも、キャンパスのステージを、セールスプロモーションの場、ディストリビューションの場として捉え、それがレコードのセールス、さらに印税収入に繋がる事を発見するのである。特にフォークは機材を廉価に揃えることができた。吉田拓郎らが興したフォーライフ・レコードは、「四畳半でアコースティックギター一本でマスターテープが作れた。フォークがビジネスになると見抜いたんやな」。これも木村氏の所見である。「その後に歌謡曲だかフォークだかわからないニューミュージック系が出てきたんや」。
 話の軸が少しずれてくる。元に戻すキーワードは、やはり京大西部講堂だった。「そんな中で京大西部講堂は治外法権。プロダクションが入ってこれへんわけ。キャンパスの中やから。プレイヤーは自分が思うとおりにプロモーションできた。そういう意味ではキャンパスが登竜門と言えるかもしれんね。タキシードなんか着ず、学生と同じ格好で、同じ目線でジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドがやったように、キャンパスをステージにすることが。中学生は高校生に、高校生は大学生に憧れる。ある意味憧れの頂上が大学キャンパスやったわけやから」。
 大学のキャンパス。今はどうなのか。イメージはこうだ。学園祭などでは、玄人はだしのイベンターとしてアーティストや芸能人を招聘する。誰を呼べるか、何人呼べるかで成功か失敗かが決まる。「往年の軽音サークルは立派なもんやった」という同志社の風土、イベンターとしての血は脈々と受け継がれたのだろう。学外サークルなどではバブル期に一世を風靡した。だがその時代が生み出したアーティストはいただろうか。ムーヴメントはあっただろうか。そして今、CRJ(College Radio Japan)という存在が唯一の救いになるのか…。
 
京大西部講堂については前に触れた。その利用規約に関しても。木村氏は問わず語りに呟く。「あんまりアレコレ難しく言わんほうがえぇと思うねんけどな。フレキシブルに、えぇ加減にやったほうが精度は高くなるから…」。それは、学生までもイベンターに成らしめる、コマーシャリズムに縛られた現代と、何事にもプリミティブでいられた往年との、埋め得ないギャップなのか。残念ながら、これもどちらが正義とは言えない。

 難しい時代ではある。だが、信じられないほど悲観することもない。先月既報の「MOJO WEST」で行われた京都系メロコア「OUTSIDE SIGNAL」のライヴはキャパを遙かに越える動員を果たした。彼らは言う。「今、京都系と呼ばれるのはメロコアや」。だが鴨川系などとも呼ばれるメロウな京都系サウンドもまだまだ健在だ。道筋のひとつとして、「東京進出」があるのが今の音楽シーン。それは否定できない。だが、京都を始め、各地でのライヴ・ライヴハウス文化は東京でのメジャーデビューの為のオーディション会場ではない。時代をつくるかもしれない音を、それぞれの地で、それぞれのハコで、日々発信しているにすぎない。ここは日常において、好きな音楽を、好きなときにやる場所なのだから。売る売らないを思わずに、営々とここでやることがまずある。そして時に大学から、時に路上から彼らは階段を上がっていくのだ。時には京都を通過していくアーティストもいるが、有り体に言えば、それは京都が発信しているものを、東京の業界人が買いに来るということだ。
 
 ループする思考と現実。そう考えたときに、ライヴハウスに求められるものは何なのか。新宿ロフトのように、そこから放たれる砲弾のごときアーティストのサウンドを受け止め、さらに加速させる砲台たるべき存在は。
 
 その旗手が「MOJO WEST」になるのかどうか。その明確な姿を、目にすることができるようになればと、切に願う。