コンテンツ開始にあたって。
ある日、本誌の発行人に呼び出され、「京都のミュージックシーンを追ったコーナーをつくらんか?」と、持ちかけられたのは’03年が明けた頃だったと思う。もしかすると、もう少し前だったか。
もっともっと前から、同様の命令のような、要請のような話はあったのだが、何となく、のばしのばしにしていたものが、いよいよ痺れを切らされたような雰囲気だった。
連載開始の決定打になったのは、北山に「MOJO West」というライヴハウスがオープンである。
そのライヴハウスの後見を務められていたのが、発行人と旧知である木村英輝さんであった。
「キーヤン」の愛称で呼ばれているこの大御所を、失礼な話だが、存じ上げなかった。
「MOJO West」のオープニングの際に、始めてお目にかかり、以来、同コーナーの後見もお願いすることになるのだが、(もっともご本人にはそのおつもりはなかっただろうが…)
連載が進むにつれ、いかに大人物かを思い知った。
京都の各界の、錚々たるメンツが兄貴と慕い、若い世代にもその名は知られていて、携帯電話で連絡を取らせていただいているというだけで、うらやましがられるほどである。
詳しくは、本編をご高覧いただきたいが、かつて企画が存在した、「WOODSTOCK」の日本版、「Fuji Odysey」の話、京都や、ひいては日本のミュージックシーンが精製されてきた歴史、その目撃者であり、当事者であった木村さんに教えていただいた。
個人として、いち音楽好きのつもりでいたが、あまりに知らないことが多かった。
勉強をさせていただいた感である。思いっきり、役得である。
もちろん、音楽は知識で聴くものでも、演奏するものでも、唄うものでもないが、絶対知っていても良い話であると自負している。
およそ30年~40年近く前、京都にロックという音楽が根付き始めた頃の逸話から、街のシーンを最前線で見守ってきたライヴハウスを追うコーナーになっていく。
連載開始が2003年5月号、ライヴハウスについては、連載第9回の「拾得」から、今年、2007年6月号「Urbanguild」まで、全42回、まる4年に渡ったコーナーを、本誌のサイト内で、追々ご紹介していく。
コーナー開始にあたって、発行人と交わした決め事がある。
文字数や写真点数など、制限が多いのが、我々、ペーパーメディアの世界である。
本誌のどのコーナーについても、その制限は等しくある。
だがこのコーナーだけは、どれだけ書いても、どんな写真でも、どんなレイアウトでも良い。そう決めた。
とは言え、物書きから文字数の制限をとりあげてしまうと、好き放題、どこまでも書き続けてしまうので、結果、デザイナーには迷惑をかけたし、文字数があまりに多いため、読みづらいという評も頂戴した。
サイト内では、その問題点も解決できたと思う。
多分に趣味的なコーナーであり、正直、全体的に見れば人気コーナーとは言えなかったが、一部からは絶賛を頂戴したコーナーでもある。
音楽がお好きな方には、楽しんでいただけるものと思っている。