追悼ジョー山中
ロックアーティスト ジョー山中
rock artist JOE YAMANAKA
2010年2月に肺がんの宣告を受けるも、歌うことにこだわり、外科的処置をせず、活動を続けたという。
道頓堀で内田裕也氏と東日本震災支援のために立つ姿がやきついたままだ。もうジョー山中は見られない。
8月7日容態が急変し、神奈川県横須賀市内の病院にて午前6時56分、家族に看取られ永眠。
しかし、日本のRockをロッカーそのままの生き様で支え続けてくれたジョー山中は人の記憶の中で永遠だ。
Flower Travellin Band ♪’SATORI part1’ mp3音源(1chorus分 2分余)
ClubFameと彼の接点の始まりであった1996年秋取材(同年12月号で掲載)の五所光一郎インタビュー「Naked Eyes」を再公開します。
苦しみも悲しみも喜びも、それら全てが人生を構成しているのであり、それがそのままROCKであることを教えてくれている。
NAKED EYES interview:Gosho kouichiro photo:Toscio Tomita
あいのこ!? それって実は地球人だ。
今年もまたクリスマスになると、六本木の皮ジャンを着た不良どもを連れて、葉山の孤児院を訪ねる男がいる。知り合いのタレントやアーティストも引っ張られ、不意に芸を演らされるらしい。『俺、子供達に約束したしさ・・・。だました様でご免なさいね。』これはその男の年末の名台詞だと聞いた。その男の名はジョー山中。
一九六六年ビートルズ来日の翌年結成されたフラワートラベリングバンドのボーカリストである。七〇年前後の日本はロックフェスの花盛りで、現代ロックミュージックシーンに到る盤石の基礎が築かれた時代である。その時代に於けるベストロックボーカリストの名を欲しいままにし、ロックミュージシャン達が憧れる存在の座を手中に入れた。幻の名盤となった『│ 悟 │サトリ』のアルバムをリリースするや、日本人ロックバンドとして初のワールドツアーを完遂した。それは日本のグループとして、はじめて世界に通用するグループとして喝采を浴びジャパニーズロックファンの誇りとなった。
また、筆者の記憶に新しいのは角川映画『人間の証明』のヒット主題歌♪mother do youremember me♪である。このヒットとほぼ時期を同じくして、その男 Joe を奈落の底に落としたのはマリファナ不法所持・吸飲であった。国家権力の『見せしめ・血祭り』の圧力が働いたのか、マスコミはロックスター Joe を異常なまでに徹底攻撃した。何故かこれ以後、ロックヒストリーを記した出版物からFTBや Joe の名が姿を消した。未来永却のロックファン・ロックキッズの為にも、危険を感じながらロック魂を持って次の事を明記しておきたい。
『Joeは日本で最初のワールドシーンでのベストロックボーカリストであり、アーティストである。』
Joeが前段の孤児院を訪れるには理由がある。スターダムに駆け上がる迄の彼は、戦後間もない時に生まれ『合いの子(混血児)』『くろんぼ(ニグロ)』と罵られ、結核で入院中の小学校三年の時に母の死を知らされ、”みなし子“と呼ばれる環境にあった。二年間養護施設へ、そして三年間葉山の孤児院へと、流転を余儀なくされた。中学卒業後、団体生活から抜け出したい一心で自動車修理工場へ。職場での冷ややかな視線に十五歳の子供の我慢は一年が限界であった。その頃金平ボクシングジムの暖かい誘いに『コレダ。コレシカナイ!』と感じ、金平会長の元に引き取られることを決意した。日本全体が貧しかった時代背景の中の極貧生活と差別は風化しつつあるが、彼の記憶にはしっかりと刻まれている。
ところで些かの下心もないボランティア活動に人生を懸ける現在の山中を報道するマスコミは今だにない。
♪胸いっぱいの愛♪ で、腹いっぱいのメッセージを聞くことにする。
■ 日本に生まれて皮膚や目の色や、髪の毛が違ってさ、何かを恨まなかったの。今の時代ではナンセンスな質問かな。
現実だもん。当たり前だもん。運命だもん。仕様がないもん。流れに身を任せてどう生きるかしかないよ。
自分の中で傷ついたことはないね。むしろエネルギーを貰ったと考えた。『この野郎みてろ』『負けたら終わり』という気持ちを持ったね。昔はヘナヘナせず腕力だけを頼りにしたっけ。淡々とした人生を過ごすよりか、山あり谷ありで良かったと思ってる。この世に生まれてきたことに感謝してるよ。しかし根深い問題だね。例えばオリンピックでさ、黒人のスイマーをまだ見ることができないことに気づいている人はいるのかなあ。虐げられてた奴は本当に強いと思いますよ。
■ やっぱり差別はなくならないのか。
個人の欲が元凶なんだよ。人間って権力だ名誉だのいろんな欲望の人達が多いから。何人かの個人の為に派閥の為に必ず多くの人が犠牲になる。差別の上に何らかの利益を得ようとする奴がいるから悲しい歴史が綴られるんだね。挙句の果ては戦争して殺し合いまで正義として行われてしまう。我欲があるうちは残念だけど平和と安楽はやって来ないよ。アフガンの難民テントでも、テルアビブでの裸のパレスチナ人にも、カンボジアでも。平和な日本も差別は潜み、引きずってるよね。抱えてるよね。
■ どうして、日本だけでなく、そんな危ないキナ臭い国にまで行ってボランティアするんだい。偽善の余裕もないだろう。
俺のやるべき事なんだ。使命なんだ。俺だからできる事なんだ。そう思ってる。
黒人系のいる国へいくと黒だと見られて黙ってても仲間意識がつくれるんだよ。少し白いけどね。どこの国へ行っても、ブラザーと思われる。だから警戒心なくスッーと入れる。なに人かと聞かれると困ってね、『地球人』だって答えるんだよ。
物質や医薬品を持って戦争してる国同志の双方へ行くんだ。
そして『何で喧嘩してるの。仲良くなってほしいな』って、メッセージしてシングしてくる。
■ ところで世界チャンピオンを夢見てボクサーしてた男が、どうしてボーカリストになったの。
新人戦準決勝の頃遊び過ぎてて、減量失敗で試合を放棄。ジムを逃げ出してフーテンさ。
一九歳まで人前で一度も歌ったこともないのに、ある日ハーフという理由で、バンドマンに声をかけられ歌う羽目になり、バンドの合宿所へ住み込んでしまった。半年した頃、『日本人にこんな声だせるか』っていう気が沸いてきましたね。
黒いけど日本人に勝ったという認識を持ったよね。それに観客の反応も嗅ぎ取れた。これなら演っていけると。シャウトしてエキサイトする時の黒い血、普段の時の黄色の血、やっと自分の二つの血が理解できた。これが天職なんだと考え出したのさ。
ファンキーでやんちゃな風だけど、事に動じない落着きと誠実な礼儀作法。恩義仁義に頑固なまでの律義さと温もりのある
やさしさ。逆境をポジティブに生きる彼はそれ等を持ち合わせている。Joeを評するにはペンが足りない。曇りのない彼の澄んだ瞳に彼の心の底が投影されているのを全身で確認した。同じ時代を駆け抜けた筆者は彼に全幅の信頼がおけることを、報告しておきたい。
文・五所光一郎
注:文中の差別用語と思われる表現については、今回取材した氏の主張に、「最も忠実な言葉」として敢えて用いたということを、読者諸氏にご了承頂きたい。