[四天王記] ラーメン横綱 編
ネギ入れ放題屋台列伝
[ラーメン横綱]は、’72年に屋台として創業。いわゆる和歌山ラーメンがブームになったときに、京都人は皆「横綱やん!」と言ったかどうかは解らないが(自分は言いました!)、濃厚な豚骨醤油ラーメンを出す。
[天下一品]が店舗を構えることによって、鶏+野菜という左京区こってり系の系譜をリードする存在となっていったのに対し、屋台のラーメンの最も進化した形として屋台の味を継承、発展したのが[横綱]といっていい。屋台、屋台というが、実際、吉祥院の美味い屋台と伝説となった店の話は、伏見区民だった自分の耳にも届いていたし、クルマの免許を取ってから吉祥院の店や大宮五条の店に出かけたが、店内に屋台の写真が貼ってあったのは正直よ〜く覚えている。
「夜泣きソバはそこそこの美味さだが、やはり店舗を構える店とスープは違う…」と子供心にも解ったようなことを考えていた。だが[横綱]で屋台の写真を見ながら食べたとき、屋台の味がこの一杯には凝縮されているんだなぁとしみじみ思ったことを思い出す。
また、親父が語っていた九条ネギがザルでテーブルおかれ、入れ放題なラーメン店に初めて出合ったのも[横綱]が初めてである。1人用の金ザルに盛られたネギを入れながら食べるラーメンが美味いのなんの、と同時に冷たいネギをガシガシ入れては食べ…を繰り返しても、最後までスープが冷めないのに驚いた。それはそうだ…入れ放題はいいが肝心のラーメンが美味しくなくなっては本末転倒というものだ。ネギ入れ放題は、豚骨醤油の濃厚な美味いスープが、これまた冷めにくく最後まで温かく食べてもらえるという自信があるからこそなんだなぁ…と思ったことを、ご飯は食べ放題ではなくなった今でも(確か’80年代の大宮五条の店は、白飯90円で食べ放題だったと記憶する)、[横綱]でラーメンを食べるときに思い出す。話は長くなったが、冷めないラーメン…それは屋台の美味いラーメンの秘訣でもあったのではないだろうか?
そんな[横綱]の第1号店舗は’77年にオープン。現在の吉祥院本店である。京都の街なかから、桂や長岡京市の友人を送って伏見に帰る…そんな遠回りも、[横綱]のおかげで全く苦にならなかった。が、やはり頻繁に通ったのは五条大宮の店である。夜遊び開けに深夜飯…。橋のたもとで屋台だった[弁慶うどん]や、お好み焼きの[福井]など…五条通はなんか食べて帰ろうというときに迷うことなく流せる通りだった。もちろん、伏見にも、桂にも、山科にも帰ることができるこの道で、クルマに乗った夜遊び人が最後の解散をする…そんな場所だった。そう、ファミレスがまだまだ大きな顔をする前の時代である。
ファミレスが大きな顔をしだしてからは、もっぱら久御山や南インターの店でガツンと[横綱]を食べる…という感じである。いやはや、[第一旭]に[天下一品]に…と南インター周辺は今となってはラーメン好きには悩めるゾーンになってしまったが、黙ってラーメン店に駆け込み、さくっと食べて高速に乗る。そんな時代を先取りしたのが[横綱]である。’92年のことだった。その前後に郊外型の大型店舗が増えていくが、これがまた凄いというか驚きなのが、全店直営で展開されているということ。
本店の吉祥院店や五条店も今ではかなりの大型店舗へとなっているが、直営で全国展開をなしとげた横綱のポテンシャルは凄いの一言である。そして、自分が今なお驚き続けているのが、どこの店でもネギの入れ放題…なことである。直営だからこそ、店舗ごとに味のバラツキをなくすことが出来るということもあるとは思うが、ネギが無くなりかけたときに、すっと新しいネギがてんこ盛りででてくる、そのホスピタリティはラーメンを食う幸せのその先を、[横綱]というラーメン店が解っているということではないだろうか?
そして[横綱]は、五条や外大前、高野のような中規模店で、昔ながらの風情を楽しむ客と、家族で気軽に大型店舗へ…てな客層をしっかりと掴んでいる。TPOを想像以上に考えて行動する京都人にとって、それがまたツボをついているといっても過言ではないだろう。