元気のでる鐘は鳴っている
ヨドバシカメラの地下の鐘
商業戦争の遺物ミステリー
1920年1月に創業した百貨店「丸物」(まるぶつ)。昭和30年代の全盛期は全国チェーン化で10店舗を数えた。
しかし創業者中林仁一郎社長が70歳で急逝、百貨店法の成立による出店難と相俟って業績が低迷する。ついに、1977年(昭和52年)5月、近畿日本鉄道の資本参加を受け、京都近鉄百貨店となり、名門丸物の名は消える。
「丸物の鐘」は1974年、おそらく経営の起死回生を願い、リニューアル等をする過程で作られたのだろうか。
しかし残念ながら思いは届かず、その3年後に鐘に残された「物」のロゴとともに表舞台から消えた。
その後、京都近鉄として近鉄百貨店グループの中核をしめ再興したやに見えるも、バブル崩壊。1997年に京都駅ビルJR京都伊勢丹開業が決定的な契機となり客足、売り上げ減少し、経営が悪化。若い年代を狙いソフマップ等をキーテナントとした複合商業ビル「プラッツ近鉄」に業態変更してチャレンジ姿勢を見せるも、この烏丸・京都駅百貨店戦争にダイヤモンドシティ・ハナ、COCON烏丸、新風館などの複合施設参戦、そして大丸、高島屋が拡大、改装で息の根を止められた。
ついに2007年(平成19年)2月には、閉鎖。渡辺節設計の文化財級名建築であった「丸物」ゆかりの建物は2007年秋に取り壊された。
跡地にヨドバシカメラマルチメディア京都が2010年11月5日に開業。しかし、「Front Kyoto まるぶつ」は消えてはいなかった。
京都駅前にヨドバシの名は若干違和感はあったが、この2年JR伊勢丹京都ともども京都駅前エリアを主敵四条繁栄会との戦いから守り抜いている。
昭和人間にまる物のロゴマークがまぶしく懐かしい。
「諦めてはいけない」と丸物の鐘は鳴る?
ヨドバシカメラの広報
2010年11月5日(金)ヨドバシカメラマルチメディア京都オープン
…昭和49年、新時代のゆとりとやすらぎの象徴として当時の丸物百貨店に登場した鐘は、そのままの形で残しました。お客様にショッピングの楽しさをご提供したいという心を現代に受け継ぎ、ヨドバシカメラでの体験を通じて、お客様一人一人に喜んでいただき、楽しさや元気を感じていただけるよう「元気の出る鐘」と名付けました。…
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丸物百貨店
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京都ヨドバシ
京都ミステリー紀行谷口年史氏
http://kyoto-brand.com/taniguchi.html