岩倉具視と八重の桜、急転回のさなか
王政復古が染みる
小堺一機が妙に悪い奴に見えるのですが、こどもの頃、岩倉具視のお札も、怖さがあった。
今回の大河ドラマでしったのですが、500円札のおっさんてけっこう大事な役割だったのですね。
左京区岩倉、実相院近くのに所在する国指定史跡「岩倉具視幽棲旧宅」は,財団法人岩倉公旧蹟保存会(平成25年1月1日解散)から京都市へ寄贈され,諸手続きの間公開は中止されていた。
そんな方も多いはずだからか、このタイミングで『国指定史跡「岩倉具視幽棲旧宅」の公開再開』された。
叡電に乗って岩倉に行きましょう。
1 開始期日 平成25年6月1日(土曜日)
2 開館時間 午前9時~午後5時(入場は午後4時半まで)
3 月曜休館(祝日の場合は開館,翌平日休館)
4 所在地 京都市左京区岩倉上蔵町100
5 入場料 大人300円,中高生200円,小学生以下100円
6 アクセス
公共交通機関を御利用ください。現地に駐車場はありません。
7 問合せ先
文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課
TEL 075-366-1498
(参考)岩倉具視 下級公家に生まれる。孝明天皇の侍従となり、当初は公武合体派として「和宮降嫁」を推進する。しかし、これが尊皇攘夷派から弾劾され辞官、洛北・岩倉村に蟄居(ちっきょ)する。以降、蟄居先でひそかに薩摩藩士・大久保利通らと交わり、倒幕に転じる。孝明天皇崩御後、「王政復古の大号令」を奏上、一躍新政府の中心人物となる。獄中で山本覚馬が口述筆記した「管見」を読み、その才能を大いに認める。
(参考)国指定史跡「岩倉具視幽棲旧宅」
岩倉具視(文政8-明治16,1825-1883)は幕末~明治期の代表的な政治家で,「維新十傑」にも数えられる。参議正三位堀河康親(ほりかわやすちか)の次男として生まれ,天保9年(1838)に公卿岩倉具慶(いわくらともやす)の養子となる。公武合体をすすめ和宮降嫁を推進したことにより,尊皇攘夷派から佐幕派と見なされ,攘夷運動の高まりの中で失脚,文久2年(1862)から慶応3年(1867)までの5年間,岩倉村に隠棲した。
この旧宅は,隠棲時代の具視が文久4年(1864)に大工藤吉の居宅(現在の附属屋)を買い,主屋と繋屋を増築して住居としたもので,昭和7年(1932)3月25日に国の史跡に指定された。平成20年度(2008)から4箇年にわたり京都市が国庫補助を得て,本格修理を実施した。
また,対岳文庫は展示・収蔵施設として昭和3年(1928)に建てられ,現在も岩倉具視関係品を展示している。建物は平成19年(2007)10月2日に国の登録有形文化財となっている。