織部の遺響~後水尾天皇と東福門院和子~ / 古田織部美術館
古田織部重然は、利休亡き後に豊臣・徳川政権で「天下一」と称された武将茶人です。激動の桃山時代後期の茶の湯をリードした、独特の美意識を持つ古田織部好みの茶道具を年3回の展示でお楽しみ下さい。
古田織部は、徳川2代将軍秀忠の茶の湯指南役でもありました。織部が将軍に与えた影響は大きく、幕命により織部が自刃した後も、秀忠は師を慕い、織部流の茶の湯を遵守したのです。
本展では、古田織部が公家文化に遺した影響に光を当てます。飛騨国高山(岐阜県高山市)藩主の嫡男として生まれた金森宗和(重近)は織部が切腹する直前に廃嫡され、京都に移住しました。宗和は父の影響で若い頃から織部流の茶の湯を学んでそれを極め、自流を立ち上げるまでになりました。やがて宗和は織部門下の関白・近衛信尋ら高位の公家衆や上級武士から支持を集め、茶の湯を教授するようになり、後水尾天皇を中心とした寛永文化ネットワークを形成した人々へ広まっていきました。また宗和は、陶工野々村仁清を指導して自らの好みの茶道具を造らせ、それが大いに賞賛されました。仁清は主に色絵を得意とし、多くの作品が国宝・重要文化財に指定されています。しかしそれ以前の京焼には白地に緑釉が掛けられ、内側は黒一色という軟質茶碗があり、これは美濃国(岐阜県)の織部焼に影響を受けたものとみられ、後の仁清や乾山に影響を与えた焼き物といえるでしょう。一方、織部やその弟子・小堀遠州は作庭を得意とし、多くの名庭園を世に送り出しましたが、後水尾天皇も織部らの影響を受け、仙洞御所の庭園を改造し、また上・中・下の離宮からなる修学院離宮を造営しました。後水尾天皇の中宮であった東福門院和子も茶の湯を好み、自らの好みの道具を遺しています。本展では、寛永文化ネットワークを形成した公家衆や法親王の書、東福門院・金森宗和が好んだ茶道具などを通して、織部が遺した美意識に迫ります。
平成29年 夏季展
☆★☆ 織部の遺響~後水尾天皇と東福門院和子~ ☆★☆
■開催期間:2017/5/20~9/18 9:30~17:30(入館は17:10まで)
休館日/期間中無休
■開催場所:古田織部美術館
京都市北区大宮釈迦谷10-37 太閤山荘内
■料 金:一般500円 高校生・大学生400円 中学生以下300円
■お問合せ:075‐707‐1800
■URL :http://www.furutaoribe-museum.com/