追悼、桑名正博。
2012年7月15日に脳幹出血で倒れたが「奇跡が起きる」と100余日闘病のすえ、10月26日に他界した歌手桑名正博の葬儀・告別式が30日、大阪市阿倍野区で営まれた。
桑名のステージでギターを弾くなど、親交のあった俳優原田芳雄(故人)の長男喧太が弔辞を読み、「いつも人のために、約束を必ず守り、しんどいときも動いてくれた」「あちらで大いに酒を飲み、大いに歌ってください」と悼んだ。
長男の桑名美勇士や妹で歌手の桑名晴子が桑名の名曲「月のあかり」を歌い、にぎやかなことが好きだった桑名らしい葬儀となったが、美勇士が途中で号泣。晴子に支えられながら最後まで歌った。
告別式には谷村新司、上田正樹、もんたよしのりら大阪ゆかりの歌手仲間や関係者が参列した。
1997年7月(発行9月1日、10月号として)に弊社五所光一郎がインタビューした記事(撮影TOSCIO TOMITA)を追悼として再掲する。
ボーカリスト 桑名正博
Naked Eyes
MASAHIRO KUWANA
vocalist & rock artist
一九七〇年、中学校を卒業するや渡米を心に決めた少年は、帰国後ロックバンド「 ファニーカンパニー」を結成。七二年レコードデビューとロックンロールカーニバルで全国縦断を果たした。時代はヒッピー世代のフラッグシップ「ウッドストック」に終わりを告げフォーク全盛の時であった。リーゼントに黒の革ジャン姿のキャロルと長髪にベルボトム姿のファニカンは、再びマイナーな存在に置き出された日本のロックシーンに一筋の光明を与えながら東西の人気を二分していた。デビュー曲「 スウィートホーム大阪」で聴かせたロックンロールの歌唱力は和製ロッカーの類ではなく、曲の良さと大阪弁の詞のノリが実に妙を得て、相まった評価は玄人受けするものと筆者に言わしめる。
七五年解散後ソロデビュー。その歌唱力は遂にメジャーヒットを生み出し、七七年「 哀愁トゥナイト」、七八年「 サードレディ」とボーカリストとしての不動の地位を確立し、七九年「セクシャル・バイオレットNo.1」ではヒットチャートのトップを独占した。その後八十年代にはコンサート、ライブと伴にロックミュージカルやドラマ出演と幅を広げ役者の領域も開拓した。
そして八八年名曲「 月のあかり」は、今もロッカバラードのスタンダードとして歌い親しまれ、九二年おおさか映画祭では助演男優賞までも受賞した。
この間大麻所持で検挙された経歴を持つ桑名がメジャー活動に復帰できるまでの時間は長い。ギター一つを抱え聴いてくれる人のいるところならどこへでも出向きライブを地道に続けたことは、ミュージシャンとしての原点を刻み込んだのであろう。一九九〇年、大阪に拠点を戻した彼は、第一回「 ニューイヤー・ロック・フェスティバルin KANSAI」を開催。今も恒例で行っている。そして同年、障害者労働センターの為のチャリティーコンサートにも着手。収益を障害者の各種基金に寄せている。九四年には関西障害者事業所開設準備事務局までも開設するに至っている。
一九九五年関西大震災発生。歌を通じてのチャリティー活動をミュージシャンとして行ったことは一部で知られている。しかし、発生早々の日に桑名が立ち上がっていたことは近しい友人しか知らない。電話が不通となった。インターネットでホームページを持つ桑名はEメールを駆使した。現地生情報を素早くキャッチする。陸路をあきらめクルーザーを準備。物資を積み込み搬送する。神戸港に係留し被災者救援を行った。報道もされないし、桑名も話さない事実である。
我侭で自由奔放、気性が荒く酒癖悪い上に、荒れるとすぐ暴力を振るうという風評が高い。それでいて大変子煩悩という桑名に迫ってみた。
■ 幾つかのテレビタレント活動をロックミュージシャンとしての執着から恰好悪いと思わないのか。
何を演ってても桑名の本質は変わらへん。曲や歌を聴いてもろたら理解るはずや。そこに全人格が込められてるし潜んでるから。ボーカリストはどんな曲でも歌えんとあかん様に広く喜ばれることを演ってもええやん。それも好きやから。正直にやりたいことをやるのが俺の主義や。哲学者でも評論家でもコメンテーターでもあらへん音楽家やから能弁雄弁にはなれへんし、それは本分やない。昔も今もこれからも、何もたいして考えてへん。やりたいことをやってきただけや。
■ 人知れずの数々のチャリティー活動をもっとアピールしてもいいのでは。
売名行為や偽善ぽいのは好きやない。納得して素の自分で生きていたいから。やりたいことを一生懸命その都度やってるだけや。プライベートなことや。本職の宣伝になったらいかん。そうやってたらドラマチックなストーリー性は後からついてくるもんや。売るための仕掛けにはしたくないよ。スピリットを大事にしてるんや。それがロックいうもんや。本物やってたら、放っておいても人が寄ってくるもんや。
■ そういう素の生き方を作品にして、メッセージを今までのヒット曲以上に広めようよ。
その時は来るだろうし、来て貰いたい。熟してきたらブレーンもスタッフも磁場に吸い寄せられるように集約するやろ。過去もそうやったし、そうやという自信がある。気と機が一致するまでは信念持って自然体で生きたいな。若い頃、よう突っ張ってるとか言われたけど、知らんことが多いから上手にしゃべられへんかっただけや。それを勘違いしてるんや。今の方がまるなった様に見えるらしいが、誤解してるわ。つかもうとしてつかめないもとをつかもうとするロック魂は、益々増殖し続けてる。焼いても消えんやろ。今は、さりげなく機が熟するのを待つ時。
■ 「何も考えず、やりたいことをやってる」ことを、あえてコンセプト化すると。
クリエーション(創造)とインターラクション(相互作用)ということかな。双方向なことが好きや。パソコンもライブ活動も意思の疎通があるコミュニケーションツールや。ほんでしてるんやろ。ホームページ(www.funny.co.jp/kuwana)も音楽同様に自分で創ることが大事や。創ることは時代や文化を生み出すやんか。何を創るかはインナートリップすることに他ならないし。心にある価値の表現やと思う。つまり心の交流と言うことか。ようわからん。
■ 今の若いもんに何か言うたって。
ほんまの自由を知らへんから可哀想や。陰湿な暴力、薬、性に向くのは自由やない。逃避なんや。なかなか心の自由に行けへん。無気力とばかり責められへんで。上から分厚い鉄板を被せられて、いっぱい重いもん背負わされてる。だまされたらあかん。いろんなもんいっぱい持たされてるし持ちすぎてる。もっともっと捨てなあかん。そしたらほんまに必要なもんを探し出せるんや。
心の呪縛と闘い、魂の開放を求め、素直な心の命ずるままに生きようとする桑名のホームページにアクセスした。「LOVE 4 EVER」のタイトルにヒッピー世代が崇拝したピースマークがモチーフのロゴマークに遭遇した。もう言葉は要らないと思った。ロックスピリットは永遠に死なない。
一九五三年大阪生まれ。港湾事業で有名な資産家「桑名のぼんぼん」とした育った彼は、親父を超えることに自己の存在を確認し、魂の自由を得るべくロックンローラーの道を選んだのである。強烈なファザーシンドロームとの戦いは未だ続くのであろうか。
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通巻160号 1997年10月号
http://kyotocf.com/cfsearch/show_pdf_direct.php?file=NKE_160_199710.pdf