-恋多き和泉式部を偲ぶ- 3/21-誠心院開山和泉式部忌
京都有数の繁華街”新京極通”も、豊臣秀吉 が洛中の寺々を京の町の東と西に南北に並べるまでは鴨川の河川敷であった。
それが寺町通となり、そのど真ん中六角通に、平安時代の歌人和泉式部を開山とする寺院が移された。
そして新京極通は、 明治の初めに槇村京都府知事が、三条・四条間の寺々の境内に道を通して造った通りである。
新京極通から裏寺通へと足を向けると、今も多くの寺院や墓地があり、往時を偲ぶ静寂さを見せている。
和泉式部の命日に当たる3月21日には、毎年、式部ゆかりの謡曲、「東北」「誓願寺」が奉納される。
また午後からは「開山和泉式部忌」と「春のお彼岸法要」を併せてお勤めされます。
同日は誠心院ゆかりの寺宝も特別公開されています。
寺伝に依りますと、初代の住職は平安の歌人和泉式部で、その法名を誠心院専意法尼と申します。娘の小式部に先立たれた和泉式部は、書写山円教寺の性空上人に勧められ誓願寺の本堂に籠りご本尊に教えを受けます。女人の身でも六字の名号をお唱えすれば、身の穢れも消えて往生できる事を聞き、六字名号を日々お唱えして、阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられ浄土へ往生しました。
上東門院彰子が父藤原道長に勧め、法成寺の中の東北院の傍らに寺を建立させ、東北寺誠心院としました。(現在の京都御所の 東、荒神口辺りでした。)時に万寿四(1027)年の事です。鎌倉期には小川通りの一条上ル誓願寺の南に移転しました。この頃に 泉涌寺の末に成ったようです。
その後、天正年間に豊臣秀吉の命令で現所在地、寺町六角下ルに移転されました。禁門の変による元治元年(1864年)の大火から立ち直る間もなく、明治四年京都府知事の命令で、境内に新京極通りが通り境内地は二分されます。山門をはじめ堂宇を失い、将に寺門は荒廃を極めました。(略)
現在、天正年間に建立された「阿弥陀如来と二十五菩薩石像」を再建。また、「百親音巡拝」成満を記念して、「式部千願観音(和泉式部の面影を偲ぶ、千人の願いを込めた、万人に利益を施す聖観音菩薩と言う思いです。)」と「百八観音」、「神変大菩薩」の石像が建立出来ました。
今後も事業の完成を目指して精進して行きたいと思います。 誠心院 住職
■開催日時:2020/3/21 11:00~謡曲奉納 14:00~法要
■開催場所:誠心院 本堂
京都市中京区新京極通六角下ル中筋487
■拝 観 料:境内無料
■お問合せ:誠心院 075-221-6331
http://www.seishinin.or.jp/