特別公開☆大徳寺本坊
【特別展示】長谷川等伯筆「羅漢図」
沿革
臨済宗大徳寺派の大本山。大燈国師(宗峰妙超)が紫草の茂る洛北の野原に大徳という小庵を結んだことに始まる。大燈国師の教えは次第に世に知られるようになり、後に花園・後醍醐両天皇の帰依を受け、勅願所として嘉暦元年(1326)に現在の龍宝山大徳寺と命名された。
室町時代には幕府から冷遇されるが、それが厳しい禅風を残す要因ともなる。優れた禅僧を多数輩出し、桃山時代には豊臣秀吉や前田利家、細川忠興など多くの 大名が自らの帰依した禅僧を開祖として、塔頭寺院を創建する。千利休が建てた金毛閣は、この楼上に利休木造を置いたことから秀吉の逆鱗に触れ、利休切腹の 要因になったことでも知られる。
京都の豪商・後藤益勝の寄進により再建された。重要文化財である狩野探幽筆の障壁画や、日本に36件のみ存在する特別名勝の方丈庭園がある。前庭は天祐和尚、東庭は小堀遠州の作庭で、江戸初期を代表する枯山水である。
公開場所
方丈(国宝)
狩野探幽筆 方丈障壁画(重文)
方丈庭園(史跡・特別名勝)
法堂 並びに 狩野探幽筆 法堂天井画「雲龍図」(重文)
唐門(国宝)
住職の居住空間としての性格も持っていた方丈。江戸時代初期の建築で、法堂や仏殿などの伽藍が中国風なのに対し、方丈は日本様式となっています。開山であ る大燈国師の塔所「雲門庵」を中心とした独特の造りであり、室中には江戸時代の絵師・狩野探幽筆の障壁画84面が当時の姿のまま残っています。絢爛豪華な 装飾がなされた国宝・唐門や、狩野探幽が35歳の時に描いた法堂の天井龍も公開されます。
長谷川等伯筆「羅漢図」
大徳寺本坊には南北朝時代(1336~1392年)に禅僧明兆(みんちょう)が描いたとされる十六羅漢図がある。 その中の「那伽犀那尊者」(なかせなそんじゃ)一幅が長谷川等伯の筆によるものである。 この羅漢図は長谷川等伯の出世作といわれる、大徳寺三門天井画以前に描かれたものと伝わり、欠損していた十六羅漢図を長谷川等伯が完成させた。
☆★☆ 特別公開☆大徳寺 本坊 ☆★☆
■開催日時:2018/10/5~10/28 9:30~16:00(最終受付)
10/14は拝観休止 10/21は11:30受付終了 10/27は13:00受付開始
■開催場所:大徳寺 本坊
〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺町53
■料 金:大人1000円 中高生700円 小学生以下無料(保護者同伴)
■お問合せ:京都春秋事務局 075-231-7015 大徳寺 075-491-0019
■URL :http://kyotoshunju.com/?temple=daitokuji-honbo