七体目の異形の六臂地蔵像 / 小野篁 作
平清盛の発願で、小野篁が彫り込んだ六体の地蔵が、
京の六つの街道沿いに分けて安置された。
その六地蔵を巡る「六地蔵めぐり」が22日に始まる。
●伏見六地蔵〈大善寺〉 ●鳥羽地蔵〈浄禅寺〉 ●桂地蔵〈地蔵寺〉 ●常盤地蔵〈源光寺〉
●鞍馬口地蔵〈上善寺〉 ●山科地蔵〈徳林庵〉がそれである。
ところがもう一体、
つまり七体目の地蔵「六臂(ろっぴ)地蔵像」が、
小野篁の手で彫られていると伝わる。
1157年、六臂地蔵像は御所近くの知恩寺に祀られ、
「厄よけ地蔵」と庶民から親しまれていたという。
その後、知恩寺第六世の如一国師が智恵光院を建立した縁で、
南北朝時代に智恵光院に移されたと寺伝にある。
西陣の智恵光院境内にその小さなお堂が佇む。
格子扉の奥、薄暗い堂内には、穏やかな眼差しと円やかな優しい顔立ちの地蔵像、
伸びた手が六本もある。
日本でただ一体という「六臂地蔵像」である。
「六道すべてを救う力を一体の像に込めることができれば、
より功徳の大きな地蔵尊となるのでは」と、 小野篁は考えたのであろう。
七日間の精進潔斎、ひと彫りごとに三回礼拝して真心を込め、
六道を表す六つの手をつけた六臂地蔵像を完成させたのである。
智恵光院は称念山平等寺と号する浄土宗の寺で、
永仁2年(1294)に五摂家の一つ
鷹司(たかつかさ)家の始祖である兼平(かねひら)が、
自家の菩提寺として如空(如一国師)を開基に迎えて創建された寺院である。
京師七光院の一つとして栄えたが、 火災に類焼することが多く
現在の本堂は安政2年(1855)に再建されたもので、
安阿弥(あんなみよう/快慶)作といわれる阿弥陀如来像が本尊として安置されている。
小生は、しだれ梅と芙蓉の時季に毎年訪ねている。
毎年8月23日17:00は、六臂地蔵像のご開帳となる時だ。
是非訪ねられてみてはどうか。
智恵光院
京都市上京区 智恵光院通一条上る 智恵光院前之町 601
075-441-5920
→→→→→→→無料定期購読受付中←←←←←←←