龍の棲む神社がある / 瀧尾神社
伏見街道沿いである。東福寺駅前といってよいところだ。
駅前を北へ歩くと、すぐに鳥居が見えてくる。
創祀創建年代は不詳というが、「 源平盛衰記(1161年-1183年)」にその名が見えるらしい。天正14(1586)年10月に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立するのに伴って、
この地に遷座されたという。
現在の本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎は、下村家一族(現在の大丸百貨店創業者)により、
江戸時代天保10年~11年(1839)に造立された。
本殿は「北山貴船奧院御社」旧殿を移築改築したもので、
十二支などの見事な彫刻(彫刻家/九山新之丞)で知られ、京都市指定有形文化財に指定されている。
祭神は大己貴命(おおむなちのみこと)で、
江戸時代まで祀られていた大黒天(大国主命)や弁財天、毘沙門天の3神も祀られている。
その手狭な境内の拝殿の天井に木彫りの龍が棲んでいる。
参詣者を睨んでいるのか、見守っているのか、その迫力たるや、有名寺院の法堂や楼門の雲龍画の比ではない立体の龍が天井一面に這い、見下ろしていた。
その龍の長さは無垢材の木彫り(丸彫)で8メートルにおよぶ。
真下から眺めると・・・実に精緻な彫が見られ、ど迫力に圧倒される。
雲間に玉が光り、龍が取り巻き、掴まんと機を見据えている。
この龍の足爪は三本でした。民を守る龍でしょうか・・・。
立ち上がって見上げ、龍と顔を見合わせようとした。
目が緑色で入っている。江戸時代の作風だろうか。
瀧尾神社は、洛東聾谷にあり武鵜社と称していたが応仁・文明の乱にて焼失(坊目誌)、
後に吉坂の地に遷座多景社と称した。
更に江戸時代に入り、皇室にゆかりの深い泉涌寺の僧が守る多郷社と称し、藤森神社の御旅所となっていた
この地に、秀吉の命で1586年に遷座された。
江戸時代初めの宝永年間(1704~11)に幕府の命令により改築され、多郷社から瀧尾神社と改名され、
その後、京の豪商下村家の篤い崇敬を受け造営・修復などの寄進により守られ、境内にはその名残が数多く残っている。
現在、数々の復興事業に依り、地域との関係も密になり氏子組織も組織され、正に昇龍のごとくに復活整備が進んでいる。
天保踊図屏風など
絵馬堂には、奉納された歴史を感じさせる額があがっている。
大丸百貨店の創業時の店舗の描かれたものや、鉄筋コンクリートに新装開店したときのものと分るものもある。
境内には三嶋社や妙見宮が2000年に遷座されてきた。
家業の呉服屋を大きく発展させ、現在の大丸百貨店の基礎を築いた下村彦右衛門が、
自宅のあった伏見区京町から行商へ行く途中に、毎朝欠かさず瀧尾神社に参拝していたという。
大丸創業家では、すべての繁栄は瀧尾神社の御利益のお蔭と寄進を続け、
「大丸繁栄稲荷社」も勧請しているのである。
本殿、拝殿、手水舎などに龍の彫り物が何体あるか数えてみたいので、是非初詣にと考えている。
ところで、拝殿の龍には網が懸けられている。これは何故だかお分かりかな。
瀧尾神社(たきのおじんじゃ)
京都市東山区本町11丁目718
075-551-0033