祗園祭 くじ取り式2016 あれこれ
恒例の「くじ取り式」が2日行われた。
市役所市会議場で行われ、17日の前祭(さきまつり)巡行で先頭の長刀鉾に続く「山一番」は山伏山が24年ぶりに引き当て、
24日の後祭(あとまつり)巡行では、橋弁慶山、北観音山に続く「山一番」は浄妙山(じょうみょうやま)となった。
くじ取りの結果・・・・・平成28年は次の順となる。(太字はくじ取らずで不動の位置)
【さきの巡行】
(1)長刀鉾(2)山伏山 (3)白楽天山 (4)孟宗(もうそう)山 山(5)函谷(かんこ)鉾
(6)太子山(7)四条傘鉾 (8)占出(うらで)山 (9)月鉾 (10)芦刈山 (11)蟷螂(とうろう)山
(12)保昌(ほうしょう)(13)鶏鉾(14)伯牙(はくが)山(15)四条傘鉾(16)霰天神(あられてんじん)山綾傘鉾
(17)菊水鉾(18)木賊(とくさ)山(19)郭巨(かっきょ)山(20)油天神山(21)放下鉾(22)岩戸山(23)船鉾
【あとの巡行】
(1)橋弁慶山(2)北観音山(3)浄妙山 (4)役行者(えんのぎょうじゃ)山
(5)黒主山(6)南観音山(7)鈴鹿山(8)八幡山(9)鯉山(10)大船鉾
そもそも祇園祭には「くじ取り式」はなかった行事のようだ。
つまり、長刀鉾に続き四条通を巡行する順は、先争いにより決められていたことになる。
出発点までの距離から考えると、自ずから順番は決まりそうなものであるが、常に一番近い位置にある孟宗山が山一番となり、順次距離の順となるとも限らなかったことを表わしている。
先を争う鉾町同士のせめぎ会いが大路小路で展開されていたことを想像すると、
静の山鉾どころか動の山鉾という時代があったのかもしれない。
「くじ取り式」が始められたのは、室町時代の明応9年(1500年)からであると。
つまり、おおよそ500年間は競い合いの時代があり、くじ取りとなって500年が経つことになる。
おそらく、先の500年の競い合いの中で、事故も起きたであろうし、鉾町同士の喧嘩もあったであろう。
その総括として、応仁の乱の後祇園祭を復活するに際し、
鉾町間の町衆の合議で「くじ取り式」に治まったという歴史もまことに興味深い。
その「くじ取り式」が市会議場に移されたのは昭和28年(1953年)だという。
以前に浄妙山の古老に聞いた話では、明治時代は京都府庁や市役所で、終戦直後は八坂神社でも行われていて、転々としてると。
更に江戸時代には、京都所司代の立会いのもとに、「六角堂」で「くじ取り式」は行わうものと決められていたと聞いていた。
確かに、六角堂には祇園社の祠が今も建っている。ユネスコ無形文化遺産に登録され,名実共に「世界の宝」となった祇園祭の山鉾巡行。
京の町衆の情熱と英知によって継承されてきた祭り事に、語り継がれていない歴史の断片に好奇心は募るばかりである。
山鉾町社参
くじ取式が終わりますと、各山鉾町代表者が八坂神社に参拝。
11:30頃、祭りの無事を神前に祈ります。
知られざる祇園祭/くじ取り式
http://kyoto-brand.com/read_column.php?cid=5411
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