祇園祭 三若みこし会会頭の神幸祭
清水武夫 通称次朗。
彼が祇園祭三若神輿奥田会(現祇藤会)の故奥田哲朗会長の若中の時からの面識である。
お祭り男と呼ぶに相応しい風貌と心意気を持つ。
奥田哲朗会長が他界したあと次朗会を発起、
現在100名程の構成員を傘下にする次朗会の最高顧問だという。
祇藤会の若衆との縁があって、
過日行われた三若合同練習会に顔出ししたとき、今年はじめての握手を交わした。
そして、神幸祭当日、祇園祭特集の取材に八坂神社へと出かけた。
南門から境内に入る800名の三若の輿丁の集団を見た。
会の旗の前に一行を先導する威風堂々とした姿があった。
彼とは、丁度ひと周り違いで、小生は年下となる。
この日カメラに収めたショットから、拾い出してみた。
拝殿に立つ真ん中紋付姿の正装は、
みこし会の上部組織となる三若神輿会の吉川和男会長と荒田幹事長だ。
八坂神社から中御座神輿の渡御を任され、一切の執行を仕切る頂点である。
江戸年間には、三条台若中として祇園社の三座を渡御していた代々世襲制の組織という。
吉川会長の挨拶につづき、荒田幹事長の激が飛ぶ。
その最中、三若みこし会新会長の指名発表が為された。
「清水武夫」の名が告げられると、 800名の輿丁の中から、拝殿の階段を上がる男がいた。
襷が授与されると、男は恭(うやうや)しく受け、名実ともに「祭り男」の頭となったのである。
襷が授与されると、男は恭(うやうや)しく受け、名実ともに「祭り男」の頭となったのである。
いよいよ拝殿出しとなり、御旅所までの渡御となった。
氏子域を練り歩き、夕刻8時すぎ、御旅所前で神輿は執拗なまでにもまれた。
神輿賑が続き、差し上げ、差し回されている中、
男は介添人とともに、轅のあいだを行き胴に肩を入れた。
当年73歳を迎える男は、いかばかりの喜びであったろうか。
初めて神輿を担いだのは昭和34年というから、53年の神輿舁き人生なのである。
お祝いにかえて、ここに記しておきたい。
彼、次朗はんが前に小生に言うたことは、
「神輿舁くと、スッーとな、神さんと一つになった気がするんや」
「神輿舁くと、スッーとな、神さんと一つになった気がするんや」
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