大人の桜 ”本満寺のしだれ桜”を知らないか!?
戦国武将「山中鹿之助(尼子十勇士)」はここに眠ると・・・。
本満寺と妙見宮との間の塀越しに、背の高い枝垂桜が見える。
これだ。きっとこれだと誰もが思う。幹の太さ、枝垂の長さ、それが持つ優しい品格。
隠れた名所と言って過言でない。これからもいい続けよう。
実に秀逸な枝垂桜である。
寺町通今出川を上ると、寺院の塀と門が連なる静寂の界隈となる。
出町商店街に近いが人通りはないに等しい。そこに「本満寺」はある。
寺町通はその昔「東京極大路」で、洛中の東の端であった。
豊臣秀吉が御土居堀を築いたとき、本満寺境内の東とした。その御土居の跡が残っている。
通りの西方面は古くからの住宅街があり、続いて同志社大学のキャンパスに相国寺の境内が大きく控えている。東は住宅街が寺院と出町商店街に挟まれている。
観光寺院ではないので、くれぐれもマナーを守り、静かに時を過ごそう。
今朝は、枝垂桜の満開をソメイヨシノが追いかけ開き出していた。
本満寺
京都市上京区寺町通今出川上ル2丁目鶴山町16
075-231-4784
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応永17年(1410年)創立の日蓮宗の寺。開山の玉洞院日秀上人は、近衛関白左大臣道嗣の嫡子で、本圀寺五世・日伝上人について出家された人である。本山本満寺は、祈祷祈願、諸願満足の寺で、山中鹿之介の墓があることでも知られる。天文年間(1532年~55年)に現在の地に移り、後奈良天皇により勅願所となった。江戸時代には、日鳳が8代将軍吉宗の病気平癒を祈って効があったことから、以来、将軍家の祈願所にもなった。築地塀に囲まれた境内には、諸堂が並び壮観。
山中鹿之助の名言/ 「願わくは我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈った。
高祖・日蓮大聖人は、1253年、鎌倉松葉ケ谷に法経堂大光山本圀寺を創建され居住、釈迦牟尼佛の御本懐御題目の広宣流布に辻説法に立たれ、「立正安国論」を呈して諫暁され、身延(みのぶ)*御入山後、大光山本圀寺は二祖日朗上人が継いで布教の道場とし、三祖日印上人がこれを継ぎ、四祖日静上人の時、足利幕府の命令で本圀寺は京都(現山科区)に移り、足利尊氏の叔父に当たる四祖日静上人の弟子、五祖日伝上人の時、関白近衛道嗣の嫡男・玉洞妙院日秀上人が大光山本圀寺に帰依して、京都に法華道場として開かれたのが、広宣流布山本願満足寺。故に当山は、日蓮大聖人、二世日朗、三世日印、四世日静、五世日伝、六世開山玉洞妙院日秀上人と、歴世を数えます。身延=身延山の略。山梨県にあり、富士川西岸に沿う身延山地の一峰。山腹に日蓮宗総本山がある