三若の祭のあとの手締め
祇園祭の幕を閉じた8月5日、
三若の足洗いとなる「三若みこし会・輿丁合同懇親会」は、
還幸祭の明けた早朝旅立った魚住会会長に哀悼の意を捧げる集いとなり、
別れを惜しんだ。
五回目となる懇親会の会場、京都国際ホテル二条の間に、続々と詰め掛ける輿丁。
席に着くと、高倉小学校の祇藤会のあの練習のときに見た、 担ぎの練習用の輿が置かれていた。
余興に何か見せてくれるのだろうか・・・
初めて参加する小生には置かれている訳が分からなかった。
開会となるや、ドアオープンと同時に飛び出してきた二匹の獅子。
会場の隅々まで、清め祓うように見事な舞をみせてくれた。
足元をみると・・・どうやら、獅子の中は輿丁のようだ。
前に武骨と言い放ってしまったが、前言は取り消さねばなるまい。
800名からの三若輿丁には芸達者もいるという証を観た。
獅子が立ち去ると、三若の旗が棚引いて三若神輿会会長の入場である。
祇園祭の神幸祭、還幸祭を彷彿とさせる中、
吉川会長、荒田幹事長らが、輿に乗せられるではないか。
二条の間を担ぎ歩き、おまけに「差し上げ」までがある。
来賓で出席の、府知事や京都市長も、輿に乗せられ、ご当人達も満足顔である。
還幸祭をあとに他界した魚住会長に黙祷が捧げられた。
現在の次朗会、魚住会、祇藤会、上村会などを立ち上げ三若の躍進を遂げてきた仲間が、
古巣である奥田会の故奥田哲郎の下へ逝ってしまった経緯を話した。
その同じ壇上には、故奥田哲郎が神輿をはじめて担いだ時の荒陶会の顧問も立っていた。
宴も酣となると、壇上の遺影が、神輿会会長の手に、
輿に乗せられ、会場は止むことなく、ホイットヨイトとの声があがった。
祇藤会川本最高顧問から、輿丁の在り様の話がされ、三若の弥栄が誓われ、
「よいとせーの」
いわんや、会場割れんばかりの手締めとなった。
こうして小生は、三若輿丁の揺るぎない、
且つ固い絆を感じさせられる夜を楽しませてもらった。
三若! 万歳!