京の夏の妖怪 その四
京都から世界へ妖怪文化
妖怪といえば、「ゲゲゲの鬼太郎」「となりのトトロ」「もののけ姫」などの作品が未だに国外でも人気は高く、昨春の冒険スペクタクル映画「どろろ」に到っては、世界24カ国に配給上映がされ話題を呼んだ。
怪異とし、怨霊とした恐怖の時代から、芸術、娯楽の創造の時代を経て、妖怪がお友達感覚に表現されているところも人気のミソなのだろう。
これらに登場する妖怪の原点は京都にあると小生は思っている。
この妖怪文化が、京都から世界へ発信されていく時代が来ることを期待して止まない。
さて、古今での、日本の三大妖怪といえば、山に住まう天狗、鬼に、水に住まう河童であると小生は思う。
京は盆地の所為か河童の伝説は少なく、日本書紀に近江国の蒲生河の記録(推古7年)が文献における初見である。天狗、鬼についての京都由来の文献は数多く、その縁の場所も出来事も、同様に多い。鬼については節分の頃に触れるとして、今回は天狗に関わるところを紹介することにしたい。
一般的に天狗というと、山伏姿で翼があり、手足の爪が長く、赤ら顔で鼻が長く髭を蓄え、金剛杖・太刀・葉団扇をもち、一本歯の高下駄を履き、自由自在に空を飛びまわり、更に神通力を持ち、動かずとも意志にて事を達することができる生き物である、と語り継がれている。
その類は山神、大天狗、小天狗、烏天狗などがあり、深い山に生息し、荒魂的粗暴な行動から夜叉・悪魔と結びつけられ恐怖の悪天狗といわれる時代があり、勧善懲悪・仏法守護を行う時代もあれば、怨霊が天狗になるという信仰がされた時代もある。それらの多様な想像が昔話や伝説、時代ごとの絵巻物に表されている。
古くより京で天狗が語られるといえば、鞍馬山の大魔王である僧正坊 に、愛宕山の太郎坊である。いずれも信仰を受けるほどの大天狗である。
そもそも、牛若丸に剣術を指南した山神天狗(魔王尊)で名を馳せる鞍馬山には、山の精霊であるとされる山神天狗(魔王尊)が650万年前(鞍馬寺説)に、金星から地球(奥の院魔王殿)に降り立ったものと説かれている。その鞍馬山には宝亀元年(770年)に鞍馬寺が創建され、現在、本殿金堂のお前立ちの魔王尊像は最高位の天狗の姿として、参詣者の前に姿を見せている。
一方、愛宕山は、修験道七高山の霊場の一つとして数えられ、京の火伏神として篤い信仰を得、愛宕信仰の総本社で、分詞が全国八百社に及ぶ神社である。
愛宕山にコブのように見える朝日峰には、天狗の姿をした愛宕権現を祭神とする愛宕神社(白雲寺)が、天応元年(781)より鎮座している。
鬼神を使役した修験道開祖、役小角(えんのおづの)は、清滝の現大杉社の地にて、九億四万余の天狗に出逢い、「我らは先き二千年に この霊山会場に仏の付属をうけ 大魔王となって山を領有し、群生を利益するであろう」とのお告げを受け、以来、愛宕権現太郎坊天狗を祀った(白雲寺縁起)、といわれている。
いずれのお山にも、山神の化身的霊物が生息していたとする説話は残り、天狗火、天狗隠し、天狗風、など天狗伝説は全国の山々にも広がり語られている。
山ばかりではなかった。洛中においては、金色の鳶と化した崇徳院にまつわる太平記に記される南北朝動乱の物語を読めば、白峯神宮にも参詣したくなるはずだ。それは、怨霊が、生きた崇徳院を天狗にならしめた話で、実に興味深い。
小生は、妖怪や化け物などを絵空事、非科学的と否定しつつも、拒絶できず受け入れてきた。否、違和感なく楽しんでいるのであろうか。
散歩の道すがらに、簾に掛けられた異様なTシャツやジーンズが並ぶ店を見つけた。
妖街堂との小さな看板がかかっている。三条京阪駅11番出口を東へ100メートル入ったところである。築200年の町家で「妖街堂カフェ」と称するらしい。
店主は妖怪の図柄を描くばかりか、何やら妖怪話も有料で聞かせてくれるとの噂もある。
残る夏の間に立ち寄って、話を聞きたくなってきた。
CAFE妖怪堂
http://www.maekake.com/yokai_index.html
妖怪文化研究の最前線を覗く
(京都学園大学総合研究所)
http://www.kyotogakuen.ac.jp/~o_human/Association/gakkai_sympo_01.html
鞍馬寺
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/kurama-dera.htm
愛宕神社
http://www.kyoto-atago.jp/
白峯神宮
http://www10.ocn.ne.jp/~siramine/