京うちわ
顔を隠す団扇から舞妓うちわまで
簾(すだれ)や網代(あじろ)を設えると、そこでは団扇(うちわ)や扇子(せんす)が似合うと感じ、使い出したくなるものだ。
京都の板前割烹や料理屋さんに行くと、白地に赤字で名前の書いてある団扇が、壁一面によく掛けられてある。赤文字は芸妓さんや舞妓さんの名前であることはすぐ分かる。
その団扇の表には置屋の家紋、裏には花街の名と綺麗どころの名が入っている。
何故か知らぬが、団扇の裏面が飾られているのだ。
この壁の様子を味わうだけでも、花街の夜遊び気分にさせられる。
花街では、名入りの団扇を夏のご挨拶に、お得意さんなどへ配る風習が残っている。
割烹料理屋に華やかに飾られている景色は、その店の権勢、繁盛ぶりのバロメータとも見える。
つまり、互いがご贔屓筋であるという証なのだ。
「舞妓うちわ」とも呼ばれるこの団扇は、「京丸うちわ」のひとつである。
団扇の三大産地と言えば、丸亀、京都、来民であるが、全国各地にはそれぞれの歴史をもった団扇があるようだ。高松塚古墳の壁画に登場する「翳(さしば)」は日本のうちわの原形だと言われているし、中国の「唐扇」は奈良時代に伝来したものが正倉院に収められている。
一方、「京うちわ」の歴史はというと、遷都とともに宮廷で使用されていたものに、南北朝時代(1336~1392年)の倭寇(わこう)により渡来した朝鮮団扇が、紀州から大和を経て、京都深草に伝わり、完成したものが始まりと言われている。
別名「都うちわ」「御所うちわ」と呼ばれ、その豪華で優美な図柄や装飾が特徴で、団扇面と把手が別に作られ、柄が中骨に後から取り付けられる挿柄の構造となっている。
表裏に貼られた地紙の中にある竹骨は50本から100本もあり、多いものほど高級で「100立て」と呼ばれるものは飾り用団扇とされているらしい。
柄には竹のほか、杉が使われたり、漆が塗り施されたものまである。
小生にとっての団扇は、七輪やおくどさんではたいていた記憶と 床机をだしての夕涼みや夏祭りに持ち歩いた記憶。
蚊帳の外で暑さに寝つかれぬ小生を、母が扇(あお)いでくれていた情景が浮かぶ。
しかし、このような使われ方は江戸時代に庶民に普及し始めてからのものである。
浮世絵などを描き、見て楽しむ用途もこの頃が始まりのようだ。
明治時代に姿を消した「深草うちわ」は、同時期京都から全国に広まり、表には草花、水鳥、花鳥の絵が描かれ、無地の裏には唄や発句を書いたり、名前を入れたり、工夫して楽しまれていたらしい。
元来、団扇といえば、公家や役人、僧侶などが、虫払いや扇ぐ以外に「顔を隠し威厳を正す用具」として存在していたと聞く。
扇子にはその用途が残る気もするが、花火大会に配られるプラスチック製の大量生産品にはそれらのかけらも見られない。
今年の夏は、手作りの京うちわで風流を気取って見ませんか。
京扇子・京うちわ (京都扇子団扇商工協同組合)
http://www.sensu-uchiwa.or.jp/
小丸屋 住井|京都-京丸うちわ・深草うちわ・京扇子-
http://komaruya.kyoto.jp/
伝統的工芸品産業振興協会
伝統工芸青山スクエア
http://kougeihin.jp/home.shtml