煤払い
善人男女の埃を叩きだし、我が身に被る
いよいよ年の瀬も押し詰まってきた。
繁華街ではXmasソングが流れているが、大掃除も気になるところである。
大掃除のことを、古くは煤払いと呼んでいた。
薪が主たる燃料源であった頃は、家中に煤が溜まり黒ずんでいたのだろう。
もっぱら天井などに付いた煤を払うのが、年末の大掃除の典型だったことから、「煤払い」と呼び習わしたようだ。
しかし、現在では煤払いをする家など無くなったように思う。
くもの巣や埃を払うことぐらいは行われているのだろうか。
その煤払いは、かつては13日の事始めの時にやるものだったようだ。
家の中の大掃除は年内にやれば多少遅くなっても良いが、神仏の煤払いだけは事始めの13日にやっておかなければ、碌なことがないと信じられていたのである。
つまり、文字通り煤や埃を払うだけの大掃除の意味ではなかったわけだ。
一年の厄を祓い落として、歳神(としがみ)を迎えるという信仰が、底辺に流れているのである。
定例に行事化したのは江戸時代で、陰暦12月13日に江戸城内の煤払いが取り決められてからだという。それに習い江戸中の家々では、挙(こぞ)って煤払いが始まり、全国に広がったそうである。
時代が下るにつれ、年末までの適宜な日に大掃除がされるようになったが、それでも神仏だけの煤払いは事始めの日に済ませる習わしが、旧家には残っている。
サイクロンの掃除機で日頃から清浄が保たれていても、京都の神社仏閣では、今も各々の日を定め、執り行われている。
煤払いで全国的にも有名なのが浄土真宗本願寺である。
約500年前に遡る蓮如の時代から続く伝統行事で、毎年20日にあると聞き、京名物とまで言われる「お煤払い」を一層のこと見たくなった。
朝7時に始まるとのこと、起きるや否や西本願寺を目指した。
前夜にマスクと手ぬぐいなどは用意しておいた。
夜が明けだし、空が白ずんできた。東山の峰々のあたりは朝焼けで薄赤く染まっているのが見える。久々に見る光景で、清々しい思いがした。
西本願寺の総御堂(阿弥陀堂)にあがると、煤払いに奉仕の方々が、既に整列し着座されていた。尋ねると、前日に京に上がり昨夜は聞法会館に泊まったという答えが返ってきた。
広々とした総御堂の畳は信者で埋め尽くされ、優に五百人は越えている。普段見られる空間など見当たらない。
気軽に時折参詣させてもらってはいるが、改めて、僧侶3万2千2百余名、寺院数1万ヶ寺を越える浄土真宗本願寺派の本山であること、その動員力と信仰の篤さを認識させられた。
総御堂に上がる階段も、縁も、堂内においても綺麗に掃除されている。
どう見ても、畳の上にはごみもなければ埃もないではないか。
しかし、内陣の阿弥陀如来木像、祖師七師に聖徳太子影像など仏像類には、白布が掛けられ覆われている。
午前七時丁度、大谷光真門主がお出ましになり、長さ約4メートルと聞く竹箒を持ち、白布の上を左右に振り、埃を払う仕草を行った。
この儀式が済むや、頭に姉さんかぶり、顔にマスクをつけた白い割烹着の信者の人達が立ち上がり、堂内に南北一直線に数列を組んだ。
先頭の数列は先が曲げられた竹の棒を両手に持ち、その後は箒と大団扇の順に並んでいる。僧侶は内陣と飾り具で、信者は参拝所に事前に分担されているようだ。
号令とともに始まった。
地を這うように腰を屈め、竹の棒を左右交互にしながら畳が叩かれた。
叩き出された埃が立ち込める中を信者は前進してくる。その背後からは大団扇が上下に動かされ、舞い上がる埃が堂内から扇ぎ出されている。
この埃を被るとご利益があるようにも伺える。
堂内の畳は繰り返し叩かれている。その頃合を見て、脚立を使い、僧侶が内陣の欄間に登り、極彩色の蓮の花などにハタキをかけだした。誠に壮観である。
埃などあろうはずもないと思うぐらいに綺麗だった畳から、もうもうと舞い上がる埃を見た。外された戸の間から差し込む朝陽が堂内の埃の舞を演出しているようにも見えた。
年間何十万人もの信者が座したであろう畳から、眼に見えなかった埃や煤を叩き出し、掃きだしているのである。
神仏の聖域を物理的に清浄にするという範疇に留まらないものを感じた。その取り除き祓われるものは世の悪霊かもしれないし、その昔なら疫病の時代もあったであろう。
ゆく一年に感謝し、真白き気持ちでくる年を迎える。
「たたけば埃の出る体」から埃をしっかりと叩き出しておく。そうしなければという思いが走った。
埃を叩きだし被ることは神聖な行なのである。
西本願寺を後に帰宅のつもりであったが、気が変わった。
こんなに清々しい気持ちになれたのだからと、午後9時に予定されている東本願寺の「お煤払い」も見学させてもらうことにした。
お東さんの畳叩きは横一列になって、号令により、一畳づつを西向きに東向きにと規則正しく叩いてゆく体である。
最後に大谷暢顕門主が大箒を手に取り、宙に「寿」と書き、締め括られた。
週末はわが社の大掃除である。
遣り残していることは数あれど、兎にも角にも終い支度にかかり、煤払いの何たるかを話して締め括りたい。
西本願寺
https://www.hongwanji.kyoto/
東本願寺
https://www.honganji.or.jp/index.shtml