水の女神 京の睡蓮
天国に一番近い池はいずこに
梅雨前線が北上し、京都にもやがて梅雨がやってくる。
入梅するとアジサイの花見となるが、入梅前後の頃、小生の楽しみは水中より咲く神秘の花である。
つまり、睡蓮に蓮である。
京都では、葵祭が終わると杜若や睡蓮を追い、祇園祭が近づくと花菖蒲や蓮を追い始めるのが頃合である。
それに従い、早速、山科は勧修寺(かじゅうじ)氷室池に、岡崎は平安神宮の西神苑白虎池と中神苑蒼龍池に足を運んだ。見事なまでの杜若と睡蓮の競演を目の当たりにした。
池に咲く睡蓮は、切り込みのある葉を従え、茎を水中に留め水面から顔を出し浮かんでいる。目を凝らして蛙を探してみるが生憎と見つけることができなかった。
驚いたことに、睡蓮は大正時代にはじめて植栽されたとのこと。
「琳派の絵で見た記憶があるのだが・・・」と調べてみると、それは睡蓮の原種となる自生していた草で、和名を「未草(ひつじぐさ)」というらしい。
未(ひつじ)とは昔の時刻の数え方で、未の刻に、つまり午後2時頃に花を開き、日没までに萎むところから名づけられていたらしい。花は三日、つまり三回咲いたあと、水中に沈んで実をつける。学名は「水の女神」の意味を表す「Nympha(ニンファー)」と命名されている。
学名で見ると「Nymphaea tetragona」が未草で、「Nymphaea colorata」が睡蓮とある。
直訳すると、「彩色された水の女神」の意味となるのが和名睡蓮である。
モネが好んで描いたのはパリ郊外の睡蓮の池。睡蓮の花を国花とするエジプトではナイル河畔に咲き誇り、「ナイルの花嫁」と呼ばれる。
普段の喧噪を忘れさせる平穏と静けさを漂わせる睡蓮に、益々神秘を感じるではないか。
その神秘を更に感じとりたくて、月替わり頃までに訪れなければならないところはまだある。まず、大雲山龍安寺の鏡容池(きょうようち)である。
その昔平安時代、龍安寺一帯は徳大寺家の別荘であった。鏡容池は公卿達が龍頭船を浮かべ歌舞音曲を楽しむところであり、またおしどりの名所でもあり、鳥達が羽を休めるところでもあった。
その池は、当時枯山水の石庭よりも有名であったと寺に伝わる。
昨年も、鴨や鷺が池の畔に寄り添い、池一面に睡蓮の花を開かせていた。
社寺ばかりではという方には、精華町のけいはんな記念公園水景園(旧京都フラワーセンター)をお奨めする。
子連れにもカップルにも、一日楽しめる文字通り花公園である。睡蓮は200品種を数え、熱帯睡蓮も見ることができる。
梅雨の前に、その穏やかな色彩美に触れ、是非「美しいものに美しい」と感じられる心を取り戻し、育んで貰いたいものだ。
小生にとって、泥池に咲く極楽の花である蓮見が本命で、睡蓮はその予行演習である。
もうしばらく「水の女神」を追って、まず天国に一番近い池を探すつもりだ。
勧修寺
http://www.kyoto-ga.jp/kyononiwa/2009/09/teien011.html
平安神宮
http://www.heianjingu.or.jp/
大雲山龍安寺
http://www.ryoanji.jp/
けいはんな記念公園
http://keihanna-park.net/