猪熊鍋を食せる比良山荘
人間の足で歩ける範囲にある食材を使う
師走を迎え年の瀬の押し詰まってきた休日、お煤払いの前日である。
「忙中閑あり」とはこういう日のことだろうと思いつつ、縁側ガラス戸の目映い陽射しを浴びながらバッグの中を整理をしていた。
六月に貰った葉書が出てきた。
「おかげさまで 鮎 豊漁でございます」と、
大津市葛川(かつらがわ)坊村の比良山荘の主人からである。
別のバッグに入れていた二枚の葉書のことを思い出し、早速に取り出した。
一枚が十月で、「紅葉 ふみわけ 木の子狩 比良山荘」とあり、天然子持ち鮎の時季なので、旬のうちに是非にとのお誘いである。
あとの一枚が、「今年は里におりてはご迷惑をおかけしております 反省をして鍋に入ります・・・・比良山荘」とあって、
描かれた鍋の絵には、イノシシとクマが腰湯で浸かっている様子である。
葉書を頂いた時と同じく、思わず噴出した。
ところが、里におりて迷惑の下りは、洒落でも報道のパロディでもなく、現実に目の当たりにした。
数日前に九条山を通ったときに、三条通に倒れていたのが猪だったのである。
猪を避けて走る車の光景など初めてだった。
山から里におりざるを得ない原因は我々にあるのだが、真剣に共存のあり方を実践しなければならない悲痛な叫びのように感じたばかりである。
さて、この葉書。
比良山荘に予約を入れるべく取っておいたものなのだが、件の有様である。
今、この手で電話をするのが当然のように早速予約をいれると、運よくその日の席が取れたのである。
比良の山で育った熊の肉は、限られた時期に僅かしか獲れない比類なき、唯一無二の味わいだという。
冬眠の月の輪熊は、木の実をたっぷり摂り、脂肪を蓄えた熊肉で希少な山の幸なのである。前に高雄の料亭で、裏メニューを特別にと頂いた時は、臭みのない脂身にコクのある美味なる鍋だった。あれから食べたことがない。
この時期には、比良山荘は鮎、松茸の会石料理から、熊の鍋にメニューが替えられるのである。それを月鍋と呼んでいるそうだ、猪熊の鍋で温まろう。何人かに声を掛け連れ立つことにした。
道中は、白川通を北行し、修学院を経て花園橋を右東へ折れ、大原を抜け途中越えでゆく。
三千院辺りから約20分位だろうか。国道367号線というより鯖街道を走る、こう言った方が分かりやすいだろう。
途中トンネルを抜けると、葛川坊村まで10分ほどである。
鄙びた山村の光景は心が静まるものだ。
比良の緑と安曇川の清流とで育まれた澄み切った空気が包み込んでくれる場所である。ところが、山村といっても市内から1時間はかからないから、駐車場を探したり、乗り継ぎに待ったりしていることを考えると、ストレスを溜めずに別天地に到着できるのが有りがたい。
聞けば、この地区の中学校は全学年で10名に満たないという隠れ里なのである。
冬の五時はもう真っ暗だ。山並みのシルエットに囲まれた漆黒の谷あいを、ワクワクしながらひたすら車を走らせた。
坊村に入り曙橋を過ぎたところで右に曲がると比良山荘である。
奥まったドン突きが地主神社で、その手前右手に行灯が灯っている。この風情は大人の時間だ。柿渋色の暖簾に白抜きされた文字が灯りに浮かんで見えた。
我々のお腹はもう準備万端である。玄関土間の薪ストーブを横目に、暖簾を潜り座敷に上がりこむのに時間はかからなかった。
座椅子に腰を下ろすと野草茶が運ばれてきた。ストーブの揺らめきと暖色の灯りが心地よい部屋の温もりを与えてくれる。イグサの香りがするので目を泳がすと真新しい畳が敷き詰められていた。頭を上げると「魚躍(さかなおどる)」と揮毫された額が掛けられている。
まず、先付は鮎なれ鮨に、柿と里芋とこう茸の白和えが据え膳に載せられ、向付には鹿と岩魚と鯉の刺身に、辛味大根と山葵と菊が付け合せられての登場である。
そして焼肴が運ばれてきた。本もろこの塩焼きである。体長の大きな本もろこは山葵の葉に、千口子(このこ/くちこ)と辛味大根と並んで載せられていた。
器に載せられたものの、ひと箸ごとに唸らされていた。
すると、炭火の入った七輪と月鍋用の青物が部屋に持ち運ばれてくる。
箸を休め、七輪の炭火を眺める。
しっかりとしていて、茶事に使う程の良い形をした炭を使っている。器同様に、目をも楽しませる気配りが窺える。やがて炭火は赤と青の炎を揺らめかせた。
土鍋が架けられ、西賀茂ねぎだけが入る。
控えている青物は、冬の地野菜という芹がふんだんに盛られ、大きな菊菜に香茸(コウダケ)、きのこ類である。
煮立つのを待つ間に、煮物の小皿があった。どんこ松茸とぼたん鰻と呼ぼう。鰻はまるで鱧が白い花を開かせたぼたん鱧のように細工されていた。
土鍋の出汁が揺らぎだした。
すると襖が開いた。抜群の間合いではないか。
主人が熊の身を盛り付けた大皿を抱えての挨拶である。月鍋の賄いは主自らがしてくれた。
猪熊鍋を所望し猪と熊の味比べをしたのだが、全員一致で熊に軍配が挙がった。
醤油ベースの甘みのある出汁でしゃぶしゃぶ風に味わう熊鍋は、その熊肉の甘く、柔らかく、蕩ける具合が絶妙で、脂身のこくと深みが舌に広がり、しかもあっさりと引いて行く。全く臭味もないから不思議な美味さである。
これでは箸が止められない、この旨味は癖になるだろう。
牛肉なら白身のロース部分の大半は切り捨てる。仮に食べたとしてもしつこく脂身に酔うほどに胃がもたれ、鍋はギトギトになる。
熊肉はそこが違う。間違いなく良質のコラーゲンとなる脂身なのである。すっぽんなどの旨味と同種なのであろう。
猪と熊を平らげると、うどんが入れられ猪熊うどんとなる。
どの腹に入れようかと待っていると、骨煎餅にされた岩魚が取り分けられた。
残るは、ご飯とデザートである。
取材ノート(京都CF誌2006年9月号)を見ると、
主人伊藤剛治は、料理学校で勉強した後京都で修行を積む料理人であった。
その後、比良山荘の家業に戻り三代目当主となり、趣向を凝らした鮎料理や会席から調理を一転させている。京料理の技と心をもって、地の利を活かした自然の味を丸ごと食する。つまり、風土に合う素朴で野趣溢れる料理を供し、「山の辺料理」と銘打って昇華させたのである。
伊藤は「人間の足で歩ける範囲にある食材を使うことが基本だ」と言っている。
また、「山菜やあしらいは、自分で採りに行くんです。『あんたのところは食材がタダでいいね』って言われるんですけど、市場で買えないから大変なんですよ」と、苦笑している。
今宵は、山の幸を野生が匂い立つ、素朴にして豪快な猪と熊の月鍋に、何度も舌鼓を打たされた。
実に至福の極みである。でき得れば毎年季節ごとに食したい。
そうなれば、自然のままが美味いという、その自然の体系と摂理に自らも従わざるを得ない筈である。
あの料亭・菊乃井の主人村田吉弘に、「比良には日本の原風景がある。比良山荘の料理には日本人の魂を元気にする何かがある。」と、こう云わしめた言葉に頷けた。
月鍋は当然にして美味いが、それにもまして比良山荘での時間は大人のアミューズメントである。
山の辺料理 比良山荘
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