恵方巻き・福豆まき
節分が大晦日で、立春が新年だったのか
1月25日は「初天神」で、28日は「初不動」だった。
お正月は「初」の付くものが多い。元旦の初詣に始まり、初大黒祭(1/1-1/3)、初ゑびす(1/8-12)、初寅大祭(1/5-1/7)、初金毘羅(1/10)、初弘法(1/21)などと目白押しだ。
「京のはつもん」とは意を異にするが、「節目」をつけ仕切り直すのが好きな民族なのだろう。 年を越したのだから、心気一転全て一からのスタートと言う具合だ。
年越しというと、旧暦では現在の2月4日の「立春」が新年だったはずだから、その前日の「節分」が大晦日だったことになる。
京の行事や歳時記と出会うとき、つい、このように新旧暦あわせて考えなければならない。
節分とは「節(せち)分かれ」と書き、季節が変わる節目のことである。
翌日の立春は「春に立つ」と書き、草木も芽吹きはじめ大自然の節目と符合させ、重要な日とされていた。ならば、この時期の京の町家の光景に注視していただきたい。
門口には柊(ひいらぎ)の枝に刺された鰯(いわし)の頭が飾られている。
あるいは、土間の上の柱などに「立春大吉」の御札や、「角大師」の絵札などが貼られる。
幼少の頃、煙をもうもうとさせ家の中で鰯を焼き、焼いた鰯と「太巻き寿司」を、恵方の方角に向き直り食べさせられた。
「丸ごとかぶりつくねんえ。しゃべったらあかんえ。」と言われた記憶がある。
呼ばれても「・・・」。返事さえしてはならないのである。
全国のコンビニで「恵方巻きの予約」が始まっているが、ここに由来しているのだ。
そして、室町時代に始まったといわれる「豆まき」。その後は、満年齢に一つ足した数の豆を数えて、健康を願い拾い食べさせられた。おそらく、数え歳で新年を迎える意味であろう。
これら「年越し」と「迎春」における習わしに、いかに邪悪厄除けが民間信仰の要となっているをうかがい知ることができる。
さて、鬼を追い祓う豆まきの豆は大豆である。それも炒った豆だ。
生の大豆をゆっくりと炒り、火打ち石にて「切り火」をなし、神前にお供えする。邪気悪霊を祓う祈願をなし、お下がりの豆で鬼を追い祓う。
どうして炒られた豆なのか。邪鬼を祓った豆が生なれば、「落ちた豆から邪悪の目が出る」ことを「凶」と考えたからだ。不吉な予兆と嫌ったのである。
「鬼は〜外、鬼は〜外。 福は〜内ぃ、福は〜内ぃ。」と、二回唱えながら豆を撒く。玄関からはじめ各部屋へと、外部から出入りできるドアや窓など開口部には抜けなく行い、追い払うのだ。
さてさて、各家々から追い払われた鬼は新年早々からどこへ逃げれば良いのだろうか。
上手くしたもので、迎えてくれるところがある。奈良県は吉野の「金峯山寺」だ。鬼火の祭典でのその掛け声は「福は内、鬼も内」である。
蔵王堂に迎えられた鬼は「鬼の調伏式」で改心し、良い鬼になるというオチとなる。
この様に年を越し、新年を迎えていたと想像すると、感慨も深い。
他にもまだまだ節分行事があり、奇行な風習もある。
調べれば調べるほどに興味は尽きることがない。
「福は内、鬼も内」鬼火の祭典 (奈良吉野 金峯山寺)
http://www.kinpusen.or.jp/