道真公と梅
春立ちて匂う花に誘われ都人天神参り
2月の始まりは節分会で町中の社寺が賑わしい。
小生は、恵方巻を丸かぶりしながら、つい今し方まで黙々として調べ物をしていた。
かぶりつくだけではと、向きを今年の恵方に向いて座りなおした。
テーブルの上には枡に入った炒り豆が置いたままである。
積まれた資料があまりにも分厚く、目通しも適わず、豆まきすら出来ずにいた。
このままだと、家の外から邪気悪霊が入ってくると気にはなっているのだが。
焦っている時点で冷静を欠いている訳で、もう既に、鬼が侵入しているのかもしれない。
資料を捲る手を止めた。豆の入った枡を持って立ち上がる。
「鬼は外っ 福は内っ、 鬼は外っ 福は内っ」
誰が居るわけではないのだが、一人で大声を上げるのに照れている自分がいる。
これでは鬼の退散などないと思い直し、下腹に力をいれて、
「鬼は外っ 福は内っ、 鬼は外っ 福は内っ」と。
すっきりとした気分になった。
旧暦でいうと節分が大晦日で、その翌日の立春が元旦である。
立春とは、寒さがあけて春に入る初日のことで、早咲きの梅の花が咲いている頃である。自然の姿が変わる大切な節目とした日であったから、立春の前日を節分(春の節分)と呼び習わしたものである。
春の節分に邪気を祓う豆まきを行うようになったのは、室町時代以降の風習である。平安時代の宮中で催されていた大晦日(春の節分)の夜の行事「追儺(ついな)」に習ったもので、方相氏が悪鬼を祓い厄災を除くものであった。
話は変わるが、今年の初天神に出向いたとき、北野天満宮では蝋梅も紅梅も白梅も開花していた。例年より早いのである。その所為で、梅見の計画を急がねばとの思いがあった。
道真公と梅をキーワードにして、早春の行楽計画を練ることが、小生にとっては、豆まきよりも優先度の高いこととなっていたのである。
さて、どこへ出向くかの候補である。
京都で梅となれば、梅林でいうと、青谷梅林(約10,000本)、しょうざん庭園(約3000本)、北野天満宮(約2000本)、長岡天満宮梅林(約2000本)、梅宮大社梅林(約550本)、京都御所梅林(約250本)、随心院梅林(約200本・はねずの梅)、府立植物園梅林(約150本)、二条城梅林(約130本)、城南宮(約120本・枝垂れ梅約100本)、清涼寺、智積院、梅小路公園梅林である。
社寺なら梅はどこにでも一本はあるだろうし、街角にも見られる。
そこで、小生の印象に強くのこっているものを挙げると、歓修寺(臥竜梅)、下鴨神社(光琳梅)、弘源院(軒端梅)、東北院(和泉式部・軒端梅)、裕正寺(枝垂れ梅)、菅大臣神社(飛梅)である。
他に、興正寺 聴松院 上賀茂神社 法住寺 三秀院、天龍寺、今熊野観音寺、雲龍院、印空寺、金戒光明寺、法輪寺、光雲寺、建仁寺、一言寺、清水寺、常寂光寺、龍安寺、東寺と挙げ続けると、京都社寺一覧となるので止めることにする。
次に、牛の像が見られる社寺を調べてみると、三十体の鎮座といわれる北野天満宮を筆頭に市内の各天満宮、本堂前に一対の牛が見られる法輪寺、宝勝牛の口にある玉を撫でると勝運があるとされる三室戸寺などがある。
最後に、道真公を祭神とした神社であるが数え切れないほどで、天神信仰の篤さがわかる。
本社としてあるのが、文子天満宮、火除天満宮、錦天満宮、匂天神、菅大臣天満宮、北菅大臣天満宮、菅原院天満宮神社、水火天満宮、吉祥院天満宮、綱敷行衛天満宮、安楽寺天満宮、文子天満宮元社、北野天満宮である。
寺院内に祀られている祭神道真の神社を調べてみると、万願寺天満宮(満願寺)、六角堂天満宮(六角堂 頂法寺)、一夜天神(壬生寺)、清和院天満宮(清和院)があった。
神社境内に創建されている摂社、末社となるとこれがまた多い。
北野天満宮の中にでさえ、北野天満宮内摂社として、道真公の乳母で巫女であった多治比文子も祀る文子天満宮がある。
末社で興味を惹かれるのは、新日吉神宮(いまひえ)にある飛梅天満宮である。
後鳥羽上皇が、道真公と道真公遺愛の飛梅の霊を共に祀られた天満宮である。
梅の花をこよなく愛された道真公が大宰府へ西下の折、京の紅梅殿の梅にこの歌を詠まれると、梅の花ははるばると大宰府まで、道真公のあとを慕い飛んでいったというのが飛梅伝説である。
その歌こそ、「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」なのである。
さて、三点を組み合わせると、早春の行楽に外せないところが決まりそうである。
まず、北野天満宮は言わずもがな、菅大臣神社、吉祥院天満宮、長岡天満宮、法輪寺、飛梅天満宮を軸に、各々近隣の梅見どころを巡ることにする。
蛇足であるが、節分の四方詣り(しほうまいり)の一社は北野天満宮であったことを付け加えておきたい。