おはぎ・ぼたもち・はんごろし
餅でもないのにボタモチとは
今年になって「ぼたもち」に与ったのは、春のお彼岸(3/21)とお盆(8/14)とで二度である。
いずれも先祖供養の折ということになる。この分で行くと次は秋の彼岸(9/23)であり、年3回となりそうだ。
年中通して「ぼたもち」と呼ぶ小生に対して、妻はいつも「おはぎ」と呼ぶ。
確かに、お饅屋はんでも、お餅屋はんの店先でも、「おはぎ」と書いてあるのが殆んどで、「ぼたもち」と書いてあるところは少ない。
幼少の頃から「おはぎ」と呼ぶ習慣のない小生は、「おはぎ」と発することに照れを覚える。
「ぼたもち」でなければ、「はんごろし」だと言ってしまう。
「ぼたもち」と「おはぎ」には諸説が飛び交う。
また、年中「おはぎ」と呼ぶのが無難であることは百も承知している。
種々調べてみて呼称をまとめてみると、春/ぼたもち、夏/夜船、秋/おはぎ、冬/北窓となる。
春夏秋冬何れで呼べど、勿論「餅」ではない。それは杵臼で搗かないからである。
江戸初期に農家のおやつ菓子として広まった頃には、もち米とうるち米を混ぜ合わせて蒸し、すり鉢の中で少し押しつぶして団子にして、また蒸して丸めて、小豆餡か大豆粉をまぶしていたようだ。
杵臼で搗かないことから、「ぺったんぺったん」と音がしないので「隣知らず」と俗称されたり、「着き知らず」の当て字から夏は「夜船」、「月知らず」の当て字から冬は「北窓」とも呼ばれたのだ。
春は「牡丹の季節」に、牡丹に見立てられた小豆こし餡の色や姿に「ぼたんもち」と、秋は「萩の季節」に、萩の小花に見立てられた小豆つぶ餡の色や姿に「おはぎ」と、愛称されたようだ。
つまり、年中「おはぎ」と呼ぶのは相応しくないというのが自説持論である。
第一に、こし餡の「おはぎ」は萩らしくなく、つぶ餡の「牡丹餅」は牡丹らしくない。
春には、こし餡で「牡丹餅」を作り、丸く大きくこさえてこそ、「ぼたもち」と呼び、秋には、つぶ餡でツブツブの小花のように「お萩」を作り、赤紫の小ぶりで長めに丸められてこそ、「おはぎ」と呼ぶに相応しい。
それらに該当しないものは「はんごろし」以外の呼び名はないと考える。
なぜなら、共通していることは、餅の様に搗かずにこさえ、もち米とお米を混ぜて炊き、すりこぎで半つぶし(ころす)にして、小豆餡を使っている点だけだからである。
では、「ぼたもち」は餅でないのに、何故餅と呼ぶのかと、問われるだろう。
それは「あんころ餅」のようであり、非学のものが愛称のために用いたもので、「倭漢三才図会」には「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」とあるように、製法を示したものでないことが明らかである。
能書きはともあれ、「はんごろし」はどれも美味い。
9月には「おはぎ」の名に相応しい「お萩」をいただいて貰いたいものだ。
京都には美味い「おはぎ」の店が多い。探訪されて食べ比べされてはいかがか。