水羊羹
羊の肝が涼夏のスイーツとなる
涼をもたらす夏の和菓子が届くと嬉しいものだ。
葛きり、あんみつ、わらび餅、麩饅頭に水羊羹。
包装を開くや青竹などが目につくと、殊更に喜んでしまう。
青竹に入った水羊羹は、幼少の頃よりの大好物のひとつだからだ。
井戸で冷やした、青竹に入った水羊羹をあげるのは、夏休みの楽しみであった。
ひんやり感とほのかな甘さを残して、溶け落ちる様に舌の上を滑り、喉奥まで流れ落ちてゆくのである。例えようのない喉ごしだった。
竹筒からツルンと飛び出す感触も、それだけで涼をくれていたのだろう。
そのような記憶から和菓子屋の水羊羹が青竹に入ると、小生にとっては極上の菓子となる。
適当な容器がない時代の青竹の容器も、今や高級和菓子屋さんの十八番(おはこ)となっている。
祖母の手作りの水羊羹は、四角い棒寒天を煮溶かすのに、中火弱火と時間が掛けられていた。
そして、餡と葛粉も、少しづつ、少しづつ、木杓子(しゃもじ)で煮溶かされていた。
「トロミが肝心なんや」、と言うのが混ぜるときの口癖だった。
こうして餡と寒天と水を馴染ませていたのだろう。
煮あがった鍋ごと冷水につけるのも、トロミをつける秘訣らしかった。
青竹で型抜きした後に残る水羊羹が早く欲しくて、祖母の傍にくっついたままであった。
生命力を感じさせる青竹といい、祖母の水羊羹は寒天菓子の王者と言って過言でない。
そもそも、どうして「羊羹(ようかん)」なんて字を充てるのかと、不思議に思ったことがある。
羊は「ヒツジ」、羹は「脂を混入して練り上げたもの」で、国語辞典では理解できなかった。
更に調べると、羊羹は羊肝が転じたもので、字の如く中国では、羊の肉を入れた吸い物を羊羹と呼んでいたようだ。また、蒙古における羊の肝の料理は羹(かん/あつもの)と呼ばれ、最高の儀礼に用いられていたそうだ。
これらが平安時代に慈覚大師円によって渡来し、日本においては、肝や脂ではなく精進料理として練り上げられたものが「羊羹」となったようである。現在の羊羹では、羊の肝の羹を真似た「精進羊羹」はなかなかお目にかかれない。
左様に、禅宗とともに渡来した練りもの「精進羊羹」に、寒天をいれたものが「水羊羹」で、茶道の歴史のなかで育まれたと聞く。
羊の肝の色に似せた小豆餡の色のみが今に伝わっている訳だが、地方名物として柿羊羹や栗羊羹もあり、水羊羹に至っては、小豆の収穫後の冬の代表菓子として受け継がれている地域もある。
食物繊維豊富で、ノーカロリーなダイエット食品とも言われる、水羊羹の歴史に驚きを覚えながら、
深みのある冷煎茶で、甘さ控えめの水羊羹をいただくことにする。