洛中洛外京桜図 一見さんの桜に通の桜編 その一
御所紫宸殿左近の桜に始まる 桜の京都
穏やかな日和の下の花見見物は、京都の華やかさが味わえる。
一方、3月の「花灯路」が終われば、続いて4月の夜桜にかがり火、寺院のライトアップと、まだ上着を掛けながらとなる京都の夜は、甘美な情緒が漂う。
「清水へ祇園をよぎる桜月夜
こよひ逢う人みなうつくしき」
与謝野晶子「みだれ髪」に同感共鳴するところだ。
古今、桜の京都とよくいわれる。それに応えるかに桜の中でも、枝垂桜(しだれざくら)は京都を代表する花木で、県花県木に指定されている。市内到る所に枝垂桜の銘木が見受けられるが、東は円山公園、西は嵐山中ノ島公園にある「巨大な枝垂桜」が市民の桜としてポピュラーである。
いずれも脇を固めるのが「染井吉野(そめいよしの)」で、背景になる東山、西山には「山桜」が控えている。親しみやすく絵になる光景で、桜見の入門編である。
円山公園の枝垂桜で頭に留めて置いていただきたいのは、「祇園の枝垂桜」は「舞妓さん」のように白粉(おしろい)姿であるということだ。
世紀末の1999年より、幹や枝を鳥や虫から守るべく石灰を塗り始めたからである。これで健康長寿を保ち、いつまでも均整のとれた美しい姿を披露できるようにとの手立てである。痛ましい限りであるが、近年いずれの桜も同じような問題を抱え始めている。
桜見をする時、円山公園にて「祇園の枝垂桜」に満喫すると、北の平安神宮方面へ向かうか、南の清水寺方面に向かうか、甚だ迷うところである。
まず、清水寺に向かうとする人が多いだろう。
スタート地点の祇園の「染井吉野」は鎌倉時代の記録には見られ、八坂神社の「彼岸桜」は江戸時代に植樹されたと聞く。社殿を後に八坂神社南門を出て、石塀小路方面に進み高台寺の塔頭・圓徳院を眺め、東山の峰峰を左に清水寺までが桜見散策基本コースである。
「清水の舞台」で、ゆっくりと遠くに流れる時間を楽しんだ後、忘れずに地主神社の「地主桜」「黄桜」を訪れて貰いたい。一本の枝に、八重の花一重の花が一緒に咲く珍しい「地主桜」に逢う事が出来るからだ。
次に、円山公園から知恩院、青蓮院へと北方面に進めば、粟田口から岡崎公園疎水べりの染井吉野を眺めながら、美術館を超え一気に平安神宮の「紅八重枝垂桜」に向かうことだ。
南神苑内に入ると、頭上から覆いかぶさらんとする「紅八重枝垂桜」に圧倒され立ちすくむほどである。東神苑栖鳳池を回遊し、「紅しだれコンサート」の貴賓館ステージを楽しめば幽遠な京都を感じ取れ、池に映える夜桜の妙に癒される。
この季節、道すがらの到る所にも桜を見ることになる「花の都 京都」。
「花の御所」と言わしめる程に、花木を植樹させた足利一族の夢の跡もさることながら、小生がイロハのイとして押さえて貰いたいと思うのは花見のルーツである桜だ。
それは『左近の桜』そのものである。「右近の橘」に対応して植えられにとする「梅」に変わり、794年平安京紫宸殿前庭には「左近に桜」が植樹された。
そして、812年には盛大な観桜会が催されたのである。以降貴族の邸内での庭樹にする事が流行り、桜狩や借景にと東に西に山桜が移植されていったとある。
昨平成28年まで京都御所では春の一般公開が行われてきたが、桜の開花時期とあわないことも多かった。しかし、通年公開となり、これで開花時期に合わせて御所内の桜を拝見できるようになった。是非足を運ばれたい。
孝明天皇は
「昔より名にはきけども今日みれば むへめかれせぬ糸さくらかな」、
と詠まれた。
その「糸桜」は出水・近衛邸跡で、只今満開見頃である。
京都御所公開について(宮内庁)
http://sankan.kunaicho.go.jp/info/20160720_01.html
平安神宮 紅しだれコンサート2017 (京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/kyo_np/info/moyoosi/2017benishidare/
京都・滋賀の桜情報 2017 (京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/sakura/