誇れる京の鍋 ちり・すき・なべ
スキヤキは 牛鍋や牛スキと異なるもの
「牛鍋」から発展した「すきやき」は日本を象徴する料理の一つである。
米国初のヒットソングとなった日本の曲「上を向いて歩こう」のタイトルが「スキヤキ」となり、「フジヤマ」「ゲイシャ」に並ぶほどの単語である。
さて、スキヤキ(すき焼き)とはいかなるものか。
「鉄板焼き」なのか「鍋物」なのか。これは考えるほどに難解になってくる。
鴨、雁、鹿などの肉をたまりに漬け、金鋤(かねすき)の上で焼いたものから発展したとする、「鋤焼き」説がある。とすると、作り出しが鉄板焼きに近い関西風は「鋤焼き」がルーツということになる。
普段いただく手順はこうだ。
まず鍋を熱し、牛肉の脂身をこすりつけ、全体に油分を敷く。
その上に肉をいれ、炒り焼き、酒、みりん、砂糖、醤油などをかけ、味付けし、いただく。まさに、焼いた肉をいただく「鋤焼き」の象徴である。
次に、豆腐、湯葉、ネギ、春菊、シイタケ、しらたき(糸こんにゃく)など脇役を鍋に入れる。
煮込んでいくと、野菜や豆腐などから水分がでてくる。酒、砂糖、醤油で味加減を整えながら、煮立つのを待つ。このあたりからが、鍋物になっていくように思う。
すなわち、「焼き物」から「鍋物」に転進するのが「スキヤキ」なのである。
最近耳にしないが、幼少の頃「じゅんじゅん」という呼称もあった。
関東地方の手順はというと、「割り下」を作り「だし」として用い、注がれた鍋を熱し、その後、牛肉などの具を入れ煮たてる。これでは、「鍋物」そのものである。
これは「すき鍋」の類であって、「魚すき」「沖すき」なとど並ぶ「牛すき」、または「牛鍋」と呼んでもらいたい。
少し甘辛いたれで煮込み、溶き卵で食べるスタイルで、脂ののった魚を野菜と一緒に煮ながら食べる「魚すき」の姿と同様である。
つまり、「スキヤキ(鋤焼き)」とは別のものであるというのが、小生の持論である。
京都上加茂に生まれ西賀茂西方寺に眠る北大路魯山人(1883年―1959年)が、「牛鍋(関東風すき焼き)」を「すき焼き(関西風牛鍋)」の食し方に工夫考案した張本人であることを聞いたことがある。
そして、感慨深げに魯山人を思い浮かべながら、「三嶋亭」の沿革を覗いてみた。
明治六年、初代・三嶌兼吉とその妻ていは、寺町通三条角で「牛鍋屋」を創業した。
御所勤めの京都から長崎に移った夫妻は牛肉の調理法を学んだ。
ペリー来航により西洋文明の波が押し寄せ、維新とともに肉食も解禁された。
そして、京に戻って商いをはじめた、とある。
三嶋亭の「すき焼き」は、創業以来変わらぬ独特の手順で調理されている。
それはこういう具合だ。八角形の鍋を熱する。そして砂糖を薄く広げ、霜降り肉を置き、特製の割下をかけ、炒り焼く。その肉を食べ、その後は具を入れ、肉とともに食べる。
このように炒り焼かれた牛肉は、とろける様に旨い。小生は、「三嶋亭(寺町三条)」に勝るすき焼きの味を、未だ食したことがない。
魯山人の誕生10年余を前にして、肉を炒り焼き食し、煮て食すという牛鍋を始めていたのだ。
京という街は、時の風の中で、貪欲に伝統を創ってきたところなのだ。
三嶋亭
(寺町通三条下ル)
https://www.mishima-tei.co.jp/
すきやき いろは
(先斗町四条大橋西詰)
http://www.sukiyaki-iroha.com/
日本初の「しゃぶしゃぶ」をはじめた「十二段家」
(祇園花見小路四条下ル二筋目角)
http://junidanya-kyoto.com/