秋、嵐山もみじ祭り
名勝でもみじ狩、船遊び、観劇。宵に旅籠で一献とは贅の極み。
ちょっとベタと言われそうな気もしたが、「嵐山もみじ祭り」にでかけることになった。
嵐山というだけで、敬遠してしまう悪い癖が京都人にはある。
例えば、金閣寺へ行こうかとか、金閣寺へ行ってきたという話を耳にすることは、まずない。
あまりにもメジャーなところ過ぎると、おのぼりさんと同じにしてほしくないとの気持ちが先立ち、それを恥のように思う深層心理がはたらくのかも知れない。
混雑しているから行かないという、もっともらしい理由もある。
しかし、それが全ての理由ではない。混雑していないもっと素敵な場所があり、それを知っているから、わざわざ選りに選ってそこへ行く理由はない、通のいく場所を知っているのだ、と言いたいのである。
観光地に行き飽きた末の話なら聞く耳を持つのだが、学校から行ったきり行ったことがない人も多い上、他所の人にそのことを聞かれても、聞いている人の方が詳しかったということもありがちなことである。
何を隠そう、そういう小生もその一人であった。
11月の第2日曜日が、恒例となっている「嵐山もみじ祭り」の日である。
この日には、大堰川に色とりどりの十数隻の船が浮かび、その船上舞台では嵐山にゆかりの深い文化・芸能の優雅な絵巻文様が再現されるという。
天下の名勝と謳われる嵐山を背景に、紅葉狩りの王朝絵巻を屏風絵ではなく、生で見られるとの期待に胸膨らませ出かけた。
そこは京都の秋を待ちかねた老若男女で賑わっていた。ガイドブック片手に、嵐山探訪に旺盛な若者の姿が多い。渡月橋近くは人の洪水である。
ゑびす屋の人力車が人混みを縫うように客を乗せ行き交い、また客待ちをしている風情が、すっかり景色に溶け込んでいた。
今年の紅葉は遅れてはいたが、嵐山の木々も色づきを見せはじめ、黄に、茶に、茜色にと、嵐山連峰も斑模様をうっすらと見せている。
雑踏を避けながらも、心はなぜか浮き浮きしてくるではないか。
渡月橋上か、南岸か、北岸か、はたまた貸しボートに乗り込むか。
足は、大堰川北西河畔の船着場の方に向かう。
13時前、船着場と向かい合う旅亭嵐月の前の道路は黒山の人盛りになっていた。
河川敷に設えられた斎場で、祝詞が奏上されている。
嵐山もみじ祭りは、天下の名勝と謳われる嵐山小倉山のもみじの美しさを讃え、嵐山一帯を守護する嵐山蔵王権現に感謝するお祭りで、車折神社の神官が斎主となって神事が執り行われていた。
現在のもみじ祭りは戦後間もない昭和22年から続けられているもので、紅葉狩りの幕あけを伝える嵐山への誘いでもある。
それに伴う嵐山保勝会が主催する行事は朝10時から始まっていた。
筝曲を奏でる小督(こごう)船や今様を披露する今様船などが、大堰川を行き来し、渓谷をその音色で盛り上げていたようだ。
更に賑わいを見せるかのように、午後は屋形船二艘を繋いで船上舞台となった風雅な双胴艇が、大堰川を上り下りと次々に行き来している。
双胴船の船首は龍頭(りゅうとう)や鷁首(げきす)となっていて、あたかも平安絵巻から抜け出したようで、その優雅な舟遊びを連想させられた。
川面に目を向けると、双胴船や屋形船の、風に棚引く幟旗の文字が見え隠れする。いきおい目を凝らして文字を追いかける。
事前に調べておいた保勝会が過去に発表している出走資料を見てみると、鯉と亀を飾った神輿をのせた「松尾大社船」、元との貿易で造営費を捻出した「天龍寺船」、黒木の鳥居に小柴垣を船上にのせた「野宮船」、狂言装束の「嵯峨釈迦堂船」、菊の花で飾った「大覚寺船」、古典的な曲を演奏する「筝曲小督(こごう)船」、即興で今様歌をつくり歌い舞う「今様船」、音楽に合わせて花を生ける「京楓流いけばな船」、舞楽と雅楽を演奏しながら舞う「平安管弦船」などとなっている。
なかなか判別もつきにくく、全部の船を確認することができなかった。午前中にだけ出走する船もあるのだろう。
様々に行き交う船の中でも、舞楽を演奏しながら舞う舞台で鷁首をつけた「平安管弦船」と、雅楽を奏で、朱垣の中で斎宮の舞う舞台に龍頭をつけた「野宮船」は、一際豪華で格調があった。
そして、烏帽子に狩衣姿で即興の今様歌をつくり詠う、船首に朱の鳥居をつけた「今様船」もその格調に馴染んでいた。
また、「天龍寺船」を再現した屋形船は、その屋根を五色に染め抜いた布で設え、前に五色の吹き散り、後ろに天竜寺の旗をなびかせ、「山紫水明」と「天竜寺貿易船」の幟を立て、歴史絵巻を彷彿とさせていた。
もみじ祭りに歴史絵巻のコンセプトがあるのかないのかを知らないが、「東映太秦映画村船」などもあった。
水戸黄門一行などの役者さんが愛嬌を振りまき、観衆に手を振りサービス精神旺盛に振舞っていたのはご愛嬌と思えるが、民謡京寿船のような音曲はこの場には相応しくないと小生は感じた。
あの民謡の大きなボリュームを耳にして、無言劇である嵯峨大念仏狂言の演者さんたちは、ほんとに何とも感じなかったのであろうか。
民謡が嫌いではない。好きだからこそ言いたい。カオス状態を避けて、民謡は亀山公園にステージを設けて行うと、素晴らしくなると思う。
さて、嵐山もみじ祭りのメイン舞台である。
「嵯峨釈迦堂船」は船着場に係留され、斎場前の正面舞台のように設えられていた。
船上舞台の裾の垂幕に、「嵯峨大念仏狂言」の文字が紺地に白抜きされ、その舞台にはもみじの枝が吊るされていた。
おそらく、この日の演目は「紅葉狩」であろうと思った。
船上舞台控えに、金色と朱の衣装に真っ赤な髪、赤黒い鬼の面をつけた演者と平維盛らしき武士の姿、愛らしく慈愛に満ちたお地蔵さん役を見た。
間違いなく、「紅葉狩」である。
あらすじは、平維盛が深山へ狩に行き、その途中に不思議な美女と出会う。その美女がすすめる酒には毒が盛られており、それを知らずに飲んだ維盛は眠りに落ち込んでしまう。謎の女は維盛の刀を奪い姿を消す。
夢うつつの維盛はお地蔵さんに出逢う。お地蔵さんは維盛に謎の女は鬼である事を告げ、退治するようにと立派な太刀を授ける。
夢から覚めた維盛の所へ、謎の女が美しい打掛を被って現れる。
その正体を教えられている維盛が、その打掛をはがすと形相すさまじい鬼が現れ、維盛と鬼との戦いとなる。
維盛は、打ち込んで来る鬼の木杖をかわすのに精一杯。
維盛めがけて空中から襲いかかる鬼を、お地蔵さんの加護により咄嗟にかわし、維盛は切り返す。鬼は最後の断末魔をあげて紅葉の枝にしがみつき、そこへ維盛最後の一刀、退治した鬼の首をさし上げる。
というストーリーである。
色づいた嵐山を背景に、川面に浮かんだ船上舞台で大念仏狂言を観劇する贅こそ、この日に訪れないことには鑑賞できないものである。
艶やかさと優雅さと壮観さを併せ持った、嵯峨大念仏狂言「紅葉狩り」に、思わず魅入ってしまった。
おまけに、演目中、島原太夫のお点前が披露されており、演目が終わると、太夫道中まで見学することができたのである。
観光地嵐山といえど、京都に居て、観光の方にだけ任せておくのは勿体無い話である。