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    京に癒やされ

    平清盛縁の地をゆく その十二

    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛 保元平治の乱 高松殿 後白河上皇 藤原信頼 源義朝 信西 平清盛
    高松神明神社村上宮司による作図
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛 高松殿跡
    新町通姉小路
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛 高倉宮趾
    平清盛 高倉宮趾
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛
    平清盛 保元平治の乱 平治物語絵巻三条殿夜討巻 後白河上皇 藤原信頼 源義朝
    平治の乱勃発 ボストン美術館所蔵
    平清盛
    平清盛 三条殿
    平清盛
    平清盛 信西
    平清盛

    三条殿趾・高松神明神社
     盛者必衰のあとかたを見る

    NHK大河ドラマ「平清盛」第25回「見果てぬ夢」を見る。
    半年かけて、やっと平治の乱へのカウントダウンへと動き出した。
    朝ドラのような進捗のシナリオで、週一の放送に少々苛立ちを覚えていた矢先である。
    おまけに、歴史通でないと登場人物の利害関係の背景が分かりづらく、歴史の予習復習なしにTVの画面を見るだけでは、理解するのに辛いものがあるだろうと思っていた。

    妃となって誰がいち早く皇子を生み、立太子させるかという女同士の熾烈な戦いが常識の時代ある。権威を得るであろう誰に纏わるか、その政争の中にあっての権力闘争に、皇族、摂関家や公卿、武家が暗躍するのである。そこが歴史の要である。

    武士の源氏、平氏といえども、元は天皇家から臣籍降下した末裔氏族であって、政権を握る藤原家に地方へと干された訳である。
    それから地方で力をつけ、公卿の忌み嫌う仕事を引き受け、やがて腐りきった貴族や官僚社会を潰し大変革を成し遂げていった話なのである。

    近代の市民革命とは意を異にする、いわばリベンジともいえる。
    その真相が明らかにされないままの脚本があるから、分かりづらい陳腐な愛憎ドラマ風になっているのかも知れない。

    ともあれ、保元の乱で公卿、武士ともども、骨肉の争いを見せた。
    高松殿から白河北殿に夜襲をかけ火を放ち、崇徳上皇を流刑とし勝利を得た後白河軍。そして、あらたな内乱である。

    1159年12月、今度は、後白河軍内の権力闘争で三条殿や高松殿が焼き討ちされ、後白河上皇、二条天皇が院の御所三条東殿から幽閉、政権を握っていた信西(しんぜい/藤原通憲)は討たれ、晒し首となる事件が起きる。
    清盛が熊野詣に出かけて京を留守にしていた間の出来事であった。

    保元の乱後、摂関家の口出しを排し後白河天皇は天皇親政を行い、その下で権勢を誇ったのが少納言入道・信西であった。
    しかし、後白河が譲位し上皇となり二条天皇(守仁親王)が即位すると、後白河の近臣であった切れ者の信西と、上皇のあさましき程の寵愛を受ける権大納言・藤原信頼が、理解しあうことなく、ことごとく対立することになった。

    また、後白河院の近臣として権勢を振るう信西と、院政を潔しとせず二条天皇につく美福門院一派の藤原伊通(ふじわらのこれみち/美福門院の従兄弟)、大納言藤原経宗(ふじわらのつねむね/美福門院の母方の叔父)、藤原惟方(ふじわらのこれかた/二条天皇の乳母の子)などが、朝廷内で院政派と天皇親政派として対立していた。

    そこへ、源氏の不満。保元の乱での勲功が第一番のはずの源義朝と、戦功の薄い平清盛との恩賞の差に、それを策謀していたとも言われる信西への義朝の義憤とやるせなさに、藤原信頼が火をつけた。

    これらが一気にひとつとなって、軍事空白となっていた京で、反信西派となって纏まり、乱を引き起こしたのである。

    平治物語(岩波文庫版『平治物語』岸谷誠一校訂)を底本として、「三条殿へ発向付けたり信西の宿所焼き払ふ事」を意訳すると、

    ・・・前略・・・
    平治元年十二月九日の夜、子の刻ごろ(十日午前二時頃)、信頼、義朝を大将として、その軍勢五百余騎が院の御所三条殿に押し寄せました。四方の門を封鎖し、南の庭より、
    「常日頃より後白河上皇にはご寵愛を戴いて参りましたが、信西の讒言(ざんげん)により、この信頼が討たれると聞きましたので、少しでも命を永らえたく思い、東国に向って下ることにしましたので、東国へお移り戴きたい。」と、信頼は馬上より口上申し上げた。

    後白河上皇は驚いて、「一体何者が信頼を討とうとしているのか。」と驚き、言い終わらぬ間に師仲が御車を寄せ、「お急ぎ下さい」と申し上げ、急かします。
    その間にも、「早く火を掛けよ」と、兵は声々に叫んでいます。

    上皇は急かされるままに、妹の上西門院とともに、慌てて同じ車に乗られました。
    信頼、義朝、光泰、光基、季実らが車の前後左右を囲んで護り、内裏に入ると、一本御書所に押し篭めたのでした。

    中略

    三条殿の有様は全く悲惨なものでした。
    各門々は兵が取り囲んでいますが、火を懸けたため、激しい火炎は空を染め、吹き荒れる風は空高く煙を舞い上げています。

    公卿、殿上人、局の女房達に至るまで、信西一派の者であろうと、矢で射殺したり斬り殺すのです。火を逃れ、焼けまいと建物を出れば矢にあたり、矢を避けようと引き返せば火に焼かれます。

    矢を恐れ、火を避けようとする者達大勢が、井戸に飛び込みました。
    次から次と飛び込むので、下になった者は溺れ、中ごろの者は圧死し、上の者は火に焼かれてしまいました。

    中略

    また十二月十日、丑の刻(午前四時頃)に信西の宿所がある、姉小路西洞院に押し寄せて、火を掛けたところ、女の童たちが慌てて外に迷い出てくるのを、信西入道が女に姿を変えて、逃げようとしているのではないかと、多くの者を斬り伏せたのでした。

    保元の乱以後は、治世は安定して、都も田舎も家に鍵を掛けることを忘れるくらいで、日々楽しく遊び暮らし、上下の人たちは家々を並べていましたが・・・

    今は兵士達が京、白河に満ち溢れて、この先どうなるのかと、嘆かない人はいませんでした。
    ・・・後略・・・

    平治物語に登場する信西の宿所を知らなかったので、出かけることにした。
    オフィスを東へ出ると東洞院通六角である。
    近隣には、ワンブロック北に歩くと、東洞院通に面した左西側に院の御所「三条東殿」の跡、右東側に「高倉宮趾(後白河天皇第皇子以仁王の御所趾)」である。NTT三条局や中京郵便局、京都文化博物館が現在の建物で、日頃からよく出入りしているところであるが、改めて歴史の幻影を見る気がした。

    通り名東洞院大路の「洞院」とは、上皇の御所の意だが、その名の通り、平安時代は上皇の御所や公家の邸宅が並んでいたところだったのである。

    東洞院姉小路を左西へ烏丸通へと出た。複合商業施設の新風館の北西角に「三条東殿遺跡」の顕彰碑と駒札が建てられているのを見つけた。
    源義朝の軍勢五百余をもって襲撃され、後白河法皇が幽閉され、多くの非業の死をみたところと再確認するに至った。

    とすれば、烏丸通を隔てて西側は三条西殿跡に当たる場所である。
    院政時代の政治の中心となった所で、白河法皇、鳥羽上皇、待賢門院の御所となった「三条西殿」も、平治の乱で焼失している。
    姉小路通と三条通をぐるりと回ってみた。烏丸ビル1階のスターバックスコーヒーのテラスに「三条西殿遺跡」を記す案内板があった。
    またしても、あらためてその案内板の文字を一語づつ、ゆっくりと追いかけた。

    姉小路に戻り高松神明神社へと向かう。
    保元の乱で後白河軍の本陣となったところで、そこで後白河天皇は即位し、保元2年(1157年)まで内裏として使われていたが、平治の乱で焼失してしまい、邸内に奉(たてまつ)られていた鎮守社高松明神が祀られた「高松神明神社」だけが残されている。
    高松殿は現在の御池通北端までに及び、東は新町通、西は西洞院通が敷地であったようだ。

    その西洞院通から北西の角地が信西の邸宅跡となる場所である。
    現在は呉服の丸昭となり、信西の存在を印すものもなく、清盛に武家政権を齎せた張本人となる権勢も歴史の波に消されていた。

    フェノロサの手を経て、ボストン美術館の所蔵となった「平治物語絵巻三条殿夜討巻」に描かれた、凄まじいリアリティを思い浮かべながらの街歩きをすると良い。

    ボストン美術館平治の乱
    http://www.boston-nippon.jp/highlight/02.html

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