清水坂の京焼物 清水焼
京焼というブランドはないはずだ
花灯路が始まり東山は麓の散策路が夜な夜な賑わしくなってきた。
清水坂から神宮道までを歩いたが、清水坂は観光繁華街の下世話さが煩わしい。
とは言うものの数軒のみやげ物屋に足を踏み入れてしまう。嬉しいのだろうか。
清水焼の陶器が目に留まり品定めをしていて、「京焼」とのラベルが目に留まった。
京焼。清水焼ではないのかと感じたのだ。幼少の頃から、小生は清水焼は清水焼と呼んでいる。わざわざ「京焼」という習慣がないのだ。
「京焼」という言葉は知ってはいるが・・・何を指しているのだろうか。
お店の人に尋ねてみた。
「京都の焼物のことです。ご存知ないですか。色絵の器のことなんですよ。お国からも伝統的工芸品として指定を受けてるもんです。京焼・清水焼と言うんです。」
唖然とした。
宇治茶というが、京茶とは言わない。西陣織というが、京織とは言わない。
だから、京焼・清水焼などは紛らわしい。それなら京焼物清水焼と呼ぶか、清水焼だけで良いではないか。京織物西陣織の表現の如しで滑稽である。自信を持ってよい知名度ではないか。
わざわざ、京焼とは「京都の焼き物(陶磁器)の総称である」との説明が不要となる。
浅学非才なものの戯言と笑っていただければ良いが、小生は大層憂いを覚えている。
「京焼」の独自性のイメージが、小生にしてこのラベルの文字から出てこないのであるから、一般観光客の方なら尚更ではないか。
京漬物と言うが、下賀茂漬とは言わない。京漬物 下賀茂のすぐきである。
京野菜と言うが、九条野菜とは言わず、京野菜 九条ねぎ、万願寺とうがらしと言う。
京焼・清水焼と呼ぶのは実に紛らわしい。業界団体の方を中心に呼称を見直すべきだ。
京をつけたいのなら「京焼物」だ。京焼物に清水焼や御室焼、粟田焼などがあったからだ。
そもそも京都における焼物の起源は、数説あるものの定かではないはずである。
日本六古窯と言われる窯場は瀬戸 常滑、越前、信楽、丹波、備前である。
室町時代に伝来の釉薬による技法により色鮮やかな色絵陶器が誕生し、京窯の名工として全国の窯場に影響をもたらしたのである。
その京都の陶磁器の黄金期を築いた先人と言えば、御室の野々村仁清、鳴滝の尾形乾山 粟田の奥田頴川(えいせん)であり、後続者として青木木米(もくべい)、仁阿弥道八(にんなみどうはち)、欽古堂亀祐(きんこどうかめすけ)、三文字屋嘉介、海老屋清兵衛等が東山一帯で清水焼の隆盛をみたものだ。
色鮮やかに優美で洗練された精細さを持つ華麗な意匠、これを誇る芸術的な色絵陶器のみに「京焼」の冠をかざしてほしい。 何が伝統として継承されているかを解り易く訴求し広報してもらいたい。京都で作られた、売られている陶磁器が全て「京焼」ではないと思う。それらの総称が京焼物と呼ばれても痛く感じる。誇れ愛せる京焼・清水焼に出会えることを願って。
京焼・清水焼 (京都陶磁器協同組合連合会)
http://www.joho-kyoto.or.jp/~kyoyaki/index.htm
シロウト焼き物探訪PART2(こころの旅)
http://www.telenet.tv/users/konko/contents49esse.yakimono2.html