天下をとった絵師 狩野永徳展
屏風絵に生き方を見る
残すところ5日間となった「狩野永徳展」。永徳(1543年〜1590)の作品が一堂に会するのはおそらく最初で最後であろう。まだの方はお忘れなく足を運ばれると良い。
小生は三度も博物館へ足を運び、待ち時間を見るや二度も引返し、結局のところ平日早朝を狙い、無料駐車場に車を置き8時半に玄関に到着、9時半の開館を一組目として入場することになった。
鑑賞後の感想は、まさに「天下をとった絵師 京都に見参。」に相応しく価値ある見ごたえのあるものであった。
「まるで鶴が舞い、蛇がのたうつような激しい勢いを持ち」と、先人は上手く表現したもので、屏風絵、大画の前に立つと、その度迫力が迫ってくる。
呆然と立ちすくんでいると、致し方ないのだが、「前にお進みください。ご覧になりながら一歩でも前にお進みください。」とのアナウンスが耳障りだったぐらいである。
主催者の説明文によると、
「本展は史上初の大回顧展として旧御物3件、国宝5件を含む国内外の名品をはじめ、新発見、初公開の作品を網羅し、真の天才とうたわれた永徳芸術の神髄に迫ります。さらに父・松栄、弟・宗秀らの代表作も加え、桃山時代の狩野派の全貌を紹介します。」とある。
個々の作品の説明は他に譲るとして、新発見初公開の「洛外名所遊楽図屏風」に触れない訳にはいくまい。
国宝 洛中洛外図屏風(米沢市上杉博物館所蔵)とともに展示されているので、当時の京都の生活、歳時記の全貌が手に取るようにわかってくるのだ。
金雲の間に描かれた一コマ一コマから町のざわめきが聞こえ、その一コマを凝視すると、静止画から物語が始まり、描かれた人々が動き出すのである。
洛中洛外図では、南は東寺に稲荷山、西は松尾に梅津辺りが屏風の端の方に記されているが、洛外名所遊楽図では、右隻(うせき)に嵯峨から嵐山、大堰川(桂川上流)一帯の秋冬の風情が描かれ、左隻(させき)に春から夏にかけての平等院と宇治川の様子が描かれている。
それらの精緻な描写は永徳23歳の時のもので、後年の大画の超ど迫力の描写との双璧を成している。
止まらず観賞せよとは無理難題というものだ。つまり仕方なく図録を買い求めることになる。
狩野派工房を率いての為せる技であろうが、焼失した作品も含めその数々の作品と天下人に用いられた功績は実に華々しい。しかし、絵師としての繁盛も結
構なことだが、東福寺法堂の天井画となるはずたった蟠龍図(ばんりゅうず)の完成為らずして、享年48歳では過労死と思わざるを得ないのが残念である。
日を改め、上京区寺の内は妙覚寺の北側境外墓地にある墓前を訪れたい。
特別展覧会 狩野永徳
http://eitoku.exh.jp/
洛外名所遊楽図屏風 発見と公開の昨年のニュース
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200609120397.html