秋の物見遊山 / 岩戸落葉神社
魅せられて 自然が織り成す黄葉、紅葉
木の葉の色づく前は緑色である。
秋の音を聞き気温が下がる。
葉が冷たさを感じ取るや、黄や橙、赤や朽葉色(くちばいろ)に色づいてゆく。
その変化の具合やその様は実に巧みで、到底、人の成せる技ではない。
自然の力の大きさや芸術性に感服するばかりだ。
科学的には、葉の葉緑体が日光により光合成を行い、糖分を合成している。
その葉緑体の中にあるクロロフィルとカロチノイドという色素が緑色の葉を保っているそうだ。
しかし、気温が下がると光合成の力が衰え、葉と茎の間に離層という組織ができ、水分や糖分が運ばれなくなる。すると、クロロフィルが壊れてしまう。
その時カロチノイドが残ると葉は黄色くなる。
また、葉の糖分が多く残っているとアントシアニンという赤い色素が生まれ、葉は赤くなる。
これが黄葉(こうよう)と紅葉(こうよう)のメカニズムであるという。
イチョウが黄葉し、モミジも黄葉していたのが万葉の時代である。
「万葉集」に詠まれているモミジに関わる歌で「赤い葉」を詠んだものは5首しかなく、残る歌の125首は黄色い葉を詠んでいるというのだ。
大和路は黄葉ばかりだったことが伺える。
そして、平安時代に入ると、モミジを愛でる対象が赤い葉に向かい、主流と成ったのである。
源氏物語「紅葉賀」には、華やかに紅く色づく楓やモミジが、黄葉を凌いで登場している。
公家などが庭園に植栽するモミジなども、紅葉が持て囃されたようだ。
黄葉か紅葉か、何れをも選べないのは私だけだろうか。
多彩な色々へ変じる可能性を秘めた緑葉、黄に朱を点じ、朱を紅に転じさせる自然の妙技、それぞれが織り成し、季節の匂いを訴えてくる。
目を足元に落とせば、黄金色の銀杏の絨毯。
転ずれば、その彼方に深紅に敷き詰められた紅葉の絨毯。
頭を上げれば、暖色を競い合うパノラマ。
思いを巡らすだけで、自ずと気分は野山に向かう。
黄葉の絨毯に圧倒され感動したことがある。今だ記憶に残っているのは「岩戸落葉神社(京都市北区小野下ノ町)」である。
頭上も足下も黄金色の銀杏の葉で埋め尽くされていた。
樹齢四百年といわれる銀杏の幹周りは3メートル、高さは20メートルを越えるまで成長した四本の巨木である。
小さな二つの社は、そのイチョウに抱かれているようで、千年を超える神社に相応しい存在感を有していた。
四本の大銀杏の葉は、境内奥の方から先に葉を落とし地面を埋め始める。そして、表側の大銀杏の葉は、埋め尽くされたのを見届けてから落ちだす。
11月中旬頃なら上も下も黄金色の光景を目にすることになり、下旬頃には一面がふかふかの絨毯のようになるのである。
できれば黄金の絨毯を踏みしめ、仰げば黄金の天井から黄金色の葉がキラキラと降り注ぐ時を狙い出掛けたい、その思いが未だに満たされてないのが残念だ。
岩戸落葉神社は小野郷の産土神で岩戸社と落葉社の二社からなる。鳥居と拝殿を共有していることから岩戸落葉神社と呼ばれている。
岩戸社は稚日女神(わかひるめのみこと)、彌都波能賣神(みづはのめのかみ)、瀬織津姫神(せおりつひめ)の3柱の女神を祀り、落葉社は源氏物語「柏木」の巻に登場する「落葉の君」が隠棲したことに因んで祀られたと伝える。
もっとも、落葉神社は延喜式の神名帳にある「堕川(おちかわ)社」であったわけだが、「落葉の君」に因んだ方がドラマチックでロマン溢れると、いつの時代か村人が考えたのであろう。
周山街道を高雄・槙尾・栂尾の三尾から清滝川沿いに更に北上して杉坂口、ここまで来ると渋滞から逃れられる。さらに北へ、鄙びた山里に佇む岩戸落葉神社は、まさに黄金の世界にこっそりと浸れる場所である。
そんな山里までは・・・と仰らず、紅葉の人気スポットを避け、お出ましになるだけの価値がある。
紅葉、黄葉のメカニズム
http://homepage2.nifty.com/chigyoraku/top11.html
万葉集:黄葉(もみち)を詠んだ歌
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/nature/momiji.html