水無月は花菖蒲から
花菖蒲で嬉しい知らせ
六月を水無月というが、水の無い月という意味ではない。
その真逆で「水の月」という意味である。
「無(な)」は連体助詞の「な」であるらしく、「の」の意味となる。
これで腑に落ちる。梅雨に入り雨が多く、昔から田に水を入れる月なのだから。
さすれば、神無月も神の月となり、神を祭る月で出雲大社に神々が集い、地方に神がいなくなるからではない様である。
さて、その水の月となると、俄かにアジサイの花が目に留まるわけだが、これより少し前に花菖蒲は花開きその姿を見せる。
いずれアヤメかカキツバタといわれるが、花菖蒲が入ると更に戸惑うばかりか、かつ名前さえもいい当てられない。
水無月に入れば、カキツバタはおおかた花を落としているから、それらしい花を見れば花菖蒲と答えていれば間違いは少ないだろう。黄色の花なら黄菖蒲と答える。これは絶対に間違いない。なぜならカキツバタに黄色はないからである。紫系でなければ花菖蒲と答えれば概ねよいということだ。
ところが、紫となると、青紫に赤紫、それぞれの濃淡で、一概に青紫だからカキツバタとは言えない。小生が頭に叩き込んでいるのは、外側の花に網目が無ければカキツバタ、
網目があって黄色の斑紋があれば花菖蒲、無ければアヤメ、としている。
その他色々あるが、情報が多すぎると、かえって迷ってしまうものだ。
付け加えるとすれば、花菖蒲の葉の幅は広く、真ん中の葉脈が盛りあがっていると覚えておけばよい。並べて比較すると分かりよいが、各々を見て言い当てるのは難儀である。
今や菖蒲といえば、花菖蒲のことを指して使われているが、菖蒲湯や端午の節句に使われる菖蒲は別の花である。花菖蒲はアヤメやカキツバタと同じくアヤメ科で、香りの強い菖蒲はサトイモ科やショウブ科に属しているばかりか、咲く季節も確かに違う。
生活文化の中での花菖蒲はというと、現在の花菖蒲は江戸時代に改良が重ねられたもので、「江戸系」、「伊勢系」、「肥後系」などが生まれ、好んで愛でられていた。
その原種は古来より自生していた野花菖蒲である。更に遡ると、稲作の始まった頃は、畦道に咲く野花菖蒲の開花で雨の到来を知り、田植えの時期を見計らっていたようである。
また、鎧兜の装飾で白抜きの花菖蒲文様をよく目にする。
聞けば平安時代の末期頃から花菖蒲文様は好んで使われていたようだ。
野花菖蒲にある赤紫色から神聖な火を連想したらしく、敵から身を守る霊力があるとまでの信仰を寄せていたという。更に、菖蒲に同音の尚武の意味に験を担ぎ、この花を好んだようである。公卿の行事であった端午の節句に菖蒲の花を飾り、尚武の象徴として鎧兜飾りを取り入れたのもこの頃で、武家に持て囃されたという。
となると、そんな花菖蒲を愛でるのは、アヤメやカキツバタとは趣が異なってくる。
平安神宮では、この時期一日のみ神苑の無料公開を行っている。6月1日に行われた京都薪能に足を運んだときに、そのことを知った。
カキツバタを見るのは蒼龍池であるが、花菖蒲は白虎池である。古来よりの200品種が集められ、6月上旬には一斉に開花している。観賞に訪れない手はない。
三室戸寺のあじさい園に行く前に、まず花菖蒲を押さえられてはいかがだろうか。
既に咲き始めの声をあげ、神光院、梅宮大社、京都府立植物園、しょうざん庭園、妙心寺退蔵院、法金剛院なども、高貴で華麗な姿を見せてくれている筈だ。
出かけずに街並みでよいという方は、古門前通と白川辺りの道すがらに、石橋の袂に目を向ければ、風情とともに花菖蒲を愛でることができだろう。
愛でれば、花言葉にある嬉しい知らせが届くやも知れない。
京都発最新情報 花だより (京都市観光文化情報システム)
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