京都 芸能の神
日本初の芸事が世界に太陽の光を戻らせた
桜にはもう一息の春分の日に、遅咲きの梅が満開だと聞いて、急遽梅津にある梅宮大社へ出かけた。
「梅の宮」に相応しい社紋は「梅の花」と思いきや、橘氏の氏神であったことから、梅宮大社には「橘」の家紋か冠せられていた。
梅宮大社ご祭神四座の内の一座、木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)の木花とは、梅の雅称で、梅、桜を意味するとある。木花咲耶姫とは、木の花(梅・桜の花)が咲くように、とても美しい女性との意味であるらしい。古き時代の美しいとは、学問や詩歌・技芸に優れている、つまり才色兼備ということである。
梅宮大社は酒造・安産の神として知られているが、芸能の神としてのご利益もあるとして崇敬されている。何故なら、木花咲耶姫は勿論のこと、音楽芸能に長けておられた仁明天皇との縁(ゆかり)も深い神社であるからだ。
「梅の宮」で遅咲き梅を堪能したあと、急なことだが時間もあるので、近くにある「桜の宮」に足を伸ばすこととなった。行けば山桜や河津桜など早咲きの桜を見ることができるやも知れないという期待とともに、足取り軽やかに嵯峨の車折(くるまざき)神社に着いた。
ご祭神は平安時代後期の儒学者清原頼業(きよはら よりなり)公で、清原氏の氏神である。王朝絵巻の舟遊びを再現した三船祭は有名で、今は中断されているが、5月第3日曜に嵐山の大堰川(おおいがわ)にて繰り広げられていた。
普段観光客も少ない車折神社の境内摂社に「芸能神社」と名のついた社がある。
中門手前の第三鳥居を過ぎたところだ。大きな石碑に「芸能神社」と刻み込まれ、石の鳥居に迫る勢いである。そして左右に朱塗りの玉垣が奉納されている。
誰の奉納かと見れば、里見浩太郎、米倉涼子、EXILEなど、新旧見慣れた名を挙げれば限がない。
音楽人、芸能人の篤い信仰を集めている様子が伺われ、若者が集まる新しい観光名所になっていないのが不思議なぐらいである。
昭和32年に建立されたようだが、芸能神社の祭神は「天宇受売命(あまのうずめのみこと)」で、分霊されたものであった。
八坂神社境内にも分霊された末社「大田社」があり、芸事に励んでおられる方の参拝の姿を良く見かける。
小生の知る限り、天宇受売命を祭神とする京都最古の神社は、上賀茂の「大田神社」である。一般にはあまり知られていないが、知る人ぞ知る音楽芸能神社である。
祇園新橋の辰巳神社が芸舞妓の参詣で芸事にご利益があるとされているが、元来は方除けの神がご祭神であり、また、芸能の神としては、七福神の「弁財天」も民間信仰は篤いが、元々外国からやってきた神様である。
「天宇受売命(天鈿女命)」が日本初の芸の祖神であるとされるのは、神話「天の岩屋」に由来している。
天照大神( あまてらすおおみかみ )が天の岩屋にお隠れになられた時に、天宇受売命は岩屋の前で賑やかに踊り、集った神々を大いに笑わせ、挙句に見事にも、その閉ざされた岩屋を開け、隙間から外を覗かせた。その隙間から岩戸はあけ開かれ、世界に太陽の光が戻ったという神話である。
その様なことから神楽・伎芸・芸能の守護神とされている。
天宇受売命のこの振る舞いを「古事記」や「日本書紀」には、「巧みに俳優(わざおぎ)をなし」と記されている。
このことから、神がのり移ったような振る舞いの意味の「わざおぎ」をもって、芸能を演ずるものを「俳優(はいゆう)」と呼ばれるようになったという。
枝垂れ梅と河津桜を楽しみながら、芸能神社巡りになろうとは。これも何かの縁であろう。近いうちに大田神社に詣でなければ。
梅宮大社
http://www.umenomiya.or.jp/index2.html
車折神社
http://www.kurumazakijinja.or.jp/geinoujinja.html
大田神社
http://www.genbu.net/data/yamasiro/oota_title.htm