学園祭・大学祭・学祭
若人の歌と踊りが炎になり、時代変化へのともし火に変わる
京都各地の秋祭りが後半に入り、時代祭に鞍馬の火祭を終えると十一月の足音が聞こえ、もみじの色づきが気に成り始める。
その頃に、学生の街京都では学祭が始まり出す。学園祭が正しい名称なのか、大学祭なのか、はたまた文化祭と呼べばよいのか、未だによく分からないが、文化の秋を楽しむイベントに学内が開放される。
小生の大学祭はバリケード封鎖され、解放区と呼んだ学内でのライブコンサートや映画上映、講演会や模擬店で終始していた。
権力や体制からの解放区であったから、確か一般市民には開放はされず、反体制を標榜する学生とそのシンパの行き交うアジトのような空間だったと記憶している。
大学近くを通るとき、大きな立看板に声明などが大書されているのを目にすると、未だにその頃を思い出す。
先だって、岡崎公園で行われていた京都学生祭典で、「京炎そでふれ!」なるものを初めて目にした。
袖の長い半纏風の衣をまとい、音源に合わせて群舞しているのである。手足を溌剌と動かしリズミカルな踊り、小節の切れ目には一斉に囃し言葉が入る。
一昔前の竹の子族かとも思ったが、少し違う風俗である。
暫く見ていると、同調してこちらまで浮かれてくるから不思議な力を持っている。
「えーじゃないか」のようにも感じられたが、特に何かをアジテートしている風ではなく、恍惚として楽しんでいる様子のパフォーマンスであった。
それはバブル全盛期における、お立ち台でのボディコンコギャルのパラパラとは全く異質のものである。どちらかというと、出口の見えない閉塞感に覆われた社会における念仏踊なのかもしれないと小生は感じた。しかも、明るく、パワフルなのが良かった。
踊り手たちのはち切れんばかりの笑顔、全身から放たれる健やかなエネルギーは、どんな疫病神も取り付く島がなく吹っ飛ばされてしまうだろう。
パフォーマー達に踊りの由縁を聞きたかったのだが、話せる機会がなく、帰宅してからネットで検索することにした。
京都学生祭典は、「大学のまち・京都21プラン」がイベントコンセプトの基本で、京都府や市などが共催者となり、あの踊りは第3回目の祭典以降、企画の一つとして「京炎そでふれ!全国おどりコンテスト」として始まったものであった。
今では、祭典のグランドファイナルで、出演者と来場者全員による「京炎そでふれ!総おどり」で幕を閉じるのが恒例となっているのである。
神宮道の各所をおどりの舞台として、誰もが参加できる全国規模のおどりコンテストで、京都らしい曲・振り・衣装などが特徴の「京炎そでふれ!」をはじめ、様々なジャンルのおどりが一堂に京都に集結し競われている。
決勝は、平安神宮に設置された特設ステージで披露され、岡崎公園をおどり一色に染め上げていたのである。
主催者の挨拶に、「この日の出会いが笑顔や活力を与えるものとなれば幸いです。」とあったが、間違いなく観衆の元気に火をつけ、活力の源となっている。
いや、そればかりではない。
「京炎そでふれ!全国おどりコンテスト」に向けて、ダンスパフォーマー増殖の勢いは京都の大学は勿論のこと、年々全国に広がりを見せ、小学生から一般にまでもう止まることを知らない状況のようである。
第3回目の祭典から、そのコンセプトは「イベントからまつりへ」と更に明確になり、「京炎そでふれ!」の踊りは京都学生祭典を象徴するものとなっている。
まさにムーブメントに為らんとしているように強く感じる。
このことを友人に話すと、その踊りの振り付けは知己の今中友子さん(トモコダンスプラネット主宰)で、音楽・衣装はひがしむねのりさん(太鼓センター代表)で制作されたと聞いて、びっくりである。
知らなかったのは小生だけだったのかと。
さて話を学祭に戻すと、どの大学のイベントスケジュールを見ても、ダンスパフォーマンスがあり、中でも「京炎そでふれ!」などのパフォーマンスに華があり際立って見えるのである。
リミックスされたオリジナル京風ワールドミュージックと名づければ良いのだろうか、そのサウンドに、趣向を凝らした華やかな和服モダンの衣装が舞う姿が想像できる。
現代人の創作する京都がどんなに舞われるのか、今から楽しみでならない。
経済が停滞し、社会に失業者が増え、大学を卒業しても就職さえ決まらない時代に生まれた文化といっては、いささか大袈裟だろうか。
歴史が繰り返されるとすれば・・・。
江戸期の元禄時代を昭和のバブル期と見ると、化政時代がデフレ不況停滞期の現在と見られないだろうか。それぞれの時代には、それぞれの新しい庶民文化が花開いていた。
文化文政時代は幕府の財政は悪化し、政治不安が広まり改革が行われるが空回りした時代で、幕府が衰退の過程を辿っていた歴史を持つ。
その折に流行ったのが滑稽本や人情本で、狂歌や川柳も新しい文芸として登場し、浮世絵、美人画、役者絵が描かれ、歌舞伎が圧倒的な人気を博し、祇園祭や盆踊りが盛んになっていた時である。
「京炎そでふれ!」などのパフォーマンスが、時代の起爆剤となって、新しい文化を生み、新しい時代の兆しとなることを願ってやまない。
それでこそ、学祭で弾け、世間に飛び出し、世界に発信する、次代を担う若者となるのではないだろうか。
そのDNAがうずいているのだと思いたい。
平成22年度「京炎そでふれ!全国おどりコンテスト」では、京都大チーム「彩京前線〜宵闇〜」が、京炎そでふれ!部門グランプリを2年連続で受賞した.
きっと、京都大学11月祭で披露してくれるであろう。
11月祭は52年の歴史を持つ京大学生祭であるが、紆余曲折の歴史がある。
運営方法においても、その企画内容においても、その時代をみることができるほど時代の価値観が投影されている。
1955年の京大記念祭事件では、「厳粛に学内関係だけで行なう」とする当時の滝川京大総長と、開放的な祭にしてフォークダンスを行なおうとする学生が対立し、学生に暴行を受けたとして総長は警官を学内に導入、学生2人が逮捕された。
その頃の学園新聞(現「京都大学新聞」)によると、滝川総長はインタビューに対し次のように答えている。
「私は何故(文化祭で)”歌と踊り”をやらなければならないのか理解できない。少なくとも”歌と踊り”は学生にとって第一義のものでない。やらなければならないことが他にもあるはずだ………」と。
学生諸君、次代を担い、時代を創るのは、いつの世も若人なのである。
老兵は立ち上がれず、歴史に呑み込まれるものなのだ。
迷わず、屈せず、ただひたすら思いの道に邁進あれ。