京の紫陽花めぐり 梅宮大社編
左、「山あじさい」。右、「あじさい」。
どこで紫陽花を見るのが良いかと尋ねられ、困ることがままある。
「あなたの好きなところでご覧なさい!」と喉元まで出掛かっているのだが、それを呑み込んで、「紫陽花のどんな風情がお好きですか」とか、「紫陽花の種類でどんなのがお好みですか」などと聞き返すことが多い。
どうせなら、「どこの紫陽花がお好きですか」とか、「どこの紫陽花苑が印象に残ってますか」とか、「直近で、どこの紫陽花を見に行ったか」と、具体的に聞いて貰いたいものだ。
何故なら、紫陽花に限らないが、「どこが良い」というのは、個人の好みに左右されると思っている。人それぞれに価値観が違うので、相手の価値観がわかっている場合はまだ答えやすい。ところが、面識が浅くてそれがわからないと、どこを進めて良いかが小生には分からない。だから、即座に答えられないのである。
紫陽花の花をじっくり見つめたいのか。紫陽花の花に埋もれたいのか。珍しい紫陽花を見たいのか。紫陽花の似合う場所を眺めたいのか。ぶっきらぼうに何処が良いかと問われても、甚だ難問である。
紫陽花の植栽されている場所を考えても、山間もあれば、公園もあれば、坪庭もあれば、池や川傍もある。紫陽花ならご近所の家の庭にもいくらでもあるではないか。それに鉢植えだって売っている。
ここまで言うと、少々言葉が過ぎて嫌味だな。
紫陽花の名所と言われるところの案内を見ると、概ね株数を誇っている。そして、次に品種だろうか。何種何株と表現されている、あれだ。いずれにせよ豊富さが名所と言われる要件となる。
そこで、品質はどうだろうかと探すのだが、書いてあったり、紹介されている例を見たことがない。数が力の世界観が、未だ続いているのである。
花を見るのは、綺麗なものを見たいという願望があるからだと思っているが、綺麗なのは数で表すものだろうか。誰もが違うことは分かっている筈である。
ただ、数が多ければ、その中にはいいものが見つかる可能性は高いのも事実である。
綺麗と感ずるには、花そのものは勿論、周りの風景や状況にも左右される。
1万株を誇る吉峰寺は、山間の谷一面に咲き乱れ、風光明媚な遠景とともに見下ろすように群舞を楽しめ、桂昌院の銅像の横でベンチに腰掛け、昼下がりにおしゃべりするのも悪くない。小生が大らかな気分を望む時は、足を延ばしてここを選ぶ。
しっとりした気分に浸り歩きたい時なら、近場の木屋町四条を目指し、高瀬川沿いの紫陽花を眺めながら五条まで歩く。途中、小橋の上に腰を掛けて佇み、緑陰と川面にきらめく光と、水辺に迫り出す紫陽花と水鏡に映える色を眺め、せせらぎの音に耳を傾けるのも好きだ。これは早朝が一番良いだろう。
そして、川端の町家に簾が掛かっている借景が好きな方なら、いつの季節も祇園白川だ。僅かな花々だが、川べりは四季を通じて次々と花開かせ季節を教えてくれている。
恵みの雨のたびに紫陽花は色を変え、芸舞妓の艶やかさを思わせる。
ことほど左様に、あじさいの宮の藤森神社にも、あじさい寺の三室戸寺にも、それぞれの風情というものがあり、萬人に名所と呼ばせるのであろう。
あじさいの宮なら伝統芸能が披露されているし、あじさい寺では茶店の「かき氷あじさい」など、あじさい祭りの期間なら余分な楽しみもある。
さて、ほんとに花好きの方にとなれば、どこをお奨めしようか。
考えた挙句は、総合点で梅宮大社神苑である。
梅雨時期は、花菖蒲に睡蓮、紫陽花が同時に楽しめること。
その紫陽花は株数を競う訳でもなく少なからず、多彩な品種で変化に富んだ植栽が施されている。
カラーコーディネーターでもいるのかと思うくらいの配色のバランス、その重なりと高低差を思慮したレイアウト、時にサプライズまでも計算しつくされた様な空間デザインを感じさせられる。
それでいて、様式美にのみ拘った作庭ばかりでなく、野趣溢れる自然さを損ねていないのである。
勾玉池の石の腰掛けに座り、花菖蒲と紫陽花を眺めていると、本殿背後にあたる森の木の上から、ガァーガアッー!と、鳥の鳴き声が聞こえる。
上空を羽ばたき巣に向かう鳥を見た。大きな青鷺が棲みついていたのである。
梅宮大社がこの地に移転された、否、山城の国に創建される以前から先住している青鷺の子孫ではないかと思う。
紫陽花は江戸時代、急速に全国へ普及し、戦後西洋アジサイとして逆輸入され一般に持て囃されるようになったが、室町時代の華道書に手鞠の紫陽花図が見られ、更に遡ると、万葉集に二首の和歌が残ると聞く。
その二首は、大伴家持(おおとものやかもち)と橘諸兄(たちばなもろえ)の詠んだものである。
橘諸兄といえば、梅宮大社の本殿右手の摂社若宮社の御祭神である。
その和歌は、「あぢさゐの八重咲くごとく弥(や)つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ」(巻20の4448橘諸兄)と。
直訳すると、「紫陽花の花が八重に咲くように、これからも末永くお元気で何代にもご繁栄されますように、私は花を見るたび、あなた様を偲び想っておりますよ」との意。
天平勝宝七歳(755年)五月、丹比国人真人(たじひのくにひとのまひと/左大臣多治比嶋の孫)邸での宴に招かれ、紫陽花に寄せて詠んだ歌で、宴の主である国人の長寿を言祝(ことほ)ぐ内容である。
当時の紫陽花は額アジサイだったらしいが、国人宅の庭には八重咲きの変種が咲いていて、ここでは、八重に咲く紫陽花を栄える象徴として、おめでたい花として取り上げていることがわかる。
それを知ってから、官人の中で古来賞讃されていたであろう八重に咲く紫陽花を見られるかと、梅宮大社の神苑に入り、花が密集して手鞠状になって咲いている日本原産の紫陽花を探した。
社伝由緒略記に記されているわけではないが、ただの紫陽花苑とは思えないのである。
神苑に入ると咲耶池が一面の花菖蒲で出迎え、右手に回遊して睡蓮を見せてくれる。左手の石燈籠の傍に真っ青な西洋アジサイが、紫の花菖蒲越しに見え隠れしている。
勢い、左手へと進むと、右のツツジの生垣越しに花菖蒲、左に紫陽花の植栽を見て散策路が勾玉池へと導いている。
薄緑の玉アジサイ、白い柏葉アジサイ、覆輪で紫や紅の西洋アジサイ、薄紫の額アジサイなど色とりどりの大きな株が歓迎している。
小さな燈籠の先に「あじさい」などの道案内がある。
開けた左の土手に真っ赤な西洋アジサイが見え、薄紅の星のようにひらいているのは星アジサイだろうか。
引き込まれるように進んでゆくと三叉路である。
またもや、道案内の札が建つ。
左、「山あじさい」。右、「あじさい」。
鬱蒼とした木陰の様子からすると、左の小道に、湿地を好み自生する山あじさいやテマリが集められているようだ。目当てはここだ。
左へと進む。嬉しいことに名札が地面に刺されていた。これで迷うことはない。
ヤマアジサイクレナイ、キヨスミサワアジサイ、クロヒメアジサイ、ベニテマリ、アキシノテマリ、伊予テマリなど、到底覚えきれない。
しかし、万葉人が愛でた頃の美がなんとなく伝わってくる気がした。
楊貴妃、舞子を覚えたのもこの時だった。
帰路は、勾玉池を右回りに、紫陽花ジャングルを行くかのように、背丈を超さんばかりのトンネルを闊歩するのである。
60種500株の間から、花菖蒲や睡蓮が見え隠れするから、楽しさは倍増していた。
紫陽花の小道の途中に、青く黄色く何回か青梅が落ちているのを見かけた。
見上げると梅の葉陰に青梅である。
梅宮大社のシンボルであると言われると、紫陽花の株数を超える梅の木があることに不思議はないのだが・・・、桜の時季に訪れたことはあるものの、梅の時季に来たことがなかったのだ。
誠にもって笑い話であるが、梅雨には毎年伺いたいところである。