安倍晴明 / 王権と陰陽師
「平安京が建立されてから150年。未だ夜の闇には“鬼”が潜み、時々姿を現しては、人心を惑わしていた。その“鬼”を調伏し、さらに、暦を読み、方位を伺い、吉凶を占う、人と魔の架け橋となる者たちがいた。その名を陰陽師(おんみょうじ)という。」
これは、東宝映画「陰陽師」のパンフレットに記されている説明文である。
そもそも、陰陽師(おんみょうじ)は呪術・占術を担当する専門家で構成された「陰陽寮」に属した官職である。676年天武天皇は古代日本の律令国家の官僚機構として「陰陽寮」を設置し、国家体制に組み込み、厳重な管理下に置くことで、王権支配の制度を目論み成就させた。
その後、明治5年の「神仏分離令」で陰陽寮が廃止となるまで、国家陰陽道として各時代の最高機密事項や暦発行に、実に千年以上も関わってきた。
その官職は陰陽頭を筆頭に百人を数える組織であったと記録されている。
科学万能時代に非科学的なものは不要とされる風潮の近代も、未だ九星四柱推命などの国民の利用者は絶えず、徐霊清浄などの祓いを受ける習慣は生活の中に生きている。
さて、その陰陽道は、平安京遷都以降に、桓武天皇を筆頭に怨霊信仰は国民的にも広まり、全盛期を迎えることになる。
この時代に伝説が生まれるほどの陰陽師といえば、陰陽師・蘆屋道満(あしや どうまん)と陰陽師・安部晴明(あべの せいめい)である。
そして、陰陽道の開祖と言えば「吉備真備(きびのまび)」で、賀茂家が継承し独占していた。
ところが、賀茂忠行、保憲親子は、大層優れた弟子の晴明に「天文道」を授け、賀茂家の継承者の光栄には「暦道」を授けることにした。
以後、陰陽道は二派に分かれ、「天文道」が安倍家の継承となり、晴明は闇の世界を操る「式神」を用い、伝説的大陰陽師と仰がれ恐れられるほどの名声を得た。やがて安部家は「土御門家」を名乗り、江戸時代には晴明を開祖に「土御門神道」を創立し、「陰陽寮」の全権を握ることになる。勿論、その影は源流である賀茂家の衰退を物語っている。
式神を用いる時「式を打つ」という言い方がされると、人間に対して用いられたことを意味するという。すなわち、呪殺。つまり、人を呪い殺す術を持ち合わせていたという。
「宇治捨遺物語」の逸話では、晴明が式を打たれていた蔵人の少将に気づき、その式神を解き除いている。
そして、播磨国出身の蘆屋道満のように民間の中にも術を極める陰陽師はいたが、安部家は官職につく陰陽師であり、時の政権に深く関わりながら天才陰陽師として君臨していったのだ。
つまり、平安京は、謎の陰陽師安倍晴明の「風水」と「陰陽道・呪詛」により、魔を防ぎ護られ、明治まで政権に関わっていたと見ることができる。
夢枕獏(ゆめまくら ばく)原作小説「陰陽師」シリーズの一作目は、1988年に文芸春秋から発刊された。そして1993年、岡野礼子の手により漫画化されコミックバーガーより出版された。それから8年、2001年6月、「陰陽師」は第5回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。
すぐさま映画化となり、東宝映画は狂言師野村萬斎を主役に起用し大ヒット作とした。
勢い陰陽師ブームが時代を捉えた。
安部晴明を祀る晴明神社(上京区堀川今出川下る)は、俄かに賑やかになり、今も多くの若い女性達が参詣者に混じっている。
その人気は衰えることを知らずなのか、修学旅行生の参詣も後を絶たない。
おりしも、9月26日は陰陽博士・安倍晴明(1005年没)の命日で、晴明神社により嵯峨墓所祭が執り行われる。
映画/ 陰陽師・安部晴明 (岩井國臣)
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/onmyouji.html
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/abesei.html
陰陽師・蘆屋道満 (風水都市・姫路と播磨の陰陽師公式サイト)
http://douman.fc2web.com/