後祭の宵山を歩く。
後祭(あとまつり)の宵山をそぞろ歩くと清々しい。
夕涼みがてらに、駒形提灯を梯子し、会所飾りを眺め、祇園囃子に耳を傾けるのが良い。ゆったりと過ごせるのは後祭の宵山、昔ながらの祭風情が偲ばれます。
明朝の後祭の巡行(7/24)の先頭を行くのは”橋弁慶山”です。
弁慶が鎧姿に大長刀を斜めにかまえ、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠の上に足駄で立ち片足を曲げ右手に太刀を持っています。
橋は黒漆塗で牛若丸の人形は足駄金具一本でこれを支えています。
今年の巡行順はこうだ。
1 橋弁慶山 くじ取らず
2 北観音山 くじ取らず
3 浄妙山 山1番
4 役行者山 山2番
5 黒主山 山3番
6 南観音山 くじ取らず
7 鈴鹿山 山4番
8 八幡山 山5番
9 鯉山 山6番
10 大船鉾 くじ取らず
北観音山/鉾のように見えるが名の通り「山」です。もとは「かき山」でしたが、後に「曳き山」になりました。「鉾」ではないので真木の代わりに真松を立てています。姿といい、祇園囃子が聞けるのも鉾と見間違うところかもしれません。
浄明山/御神体は一来法師が浄妙の頭上を飛び越える一瞬をとらえ、木片の楔で一来法師の全身を見事に支えていますよ。黒漆塗の橋桁にも数本の矢がささり戦さのすごさを表しています。
役行者山/山を飾る「宵掛け」と呼ばれる巡行では使わない、専用の懸装(けそう)品が今年修復され、宵山までの3日間会所前の山で見られます。巡行で使用するものは会所に飾られています。
町会所の鬼門の位置に当たる北東にパワースポット(行者石&一言井戸)があります。
黒主山/華やかに咲き誇った桜の花に目が惹かれます。御神体(人形)の大伴黒主の仰ぎ見る所作にも感嘆。そして、食べられる粽がいただけると大層喜ばれています。ご賞味あれ。
今年の巡行順に写真を並べていますが、宵山を歩く順は特にありません。
東西南北のいずれにも気の向くままに、そぞろ歩かれればよいでしょう。
屏風飾りをメインに歩く手もあります。
南観音山/今年7月21日に披露されたばかりの新築の会所で後祭を迎える南観音山。宵山の「あばれ観音」は見逃せない。
こちらも曳山で鉾ではありませんが、祇園囃子が楽しめます。
鈴鹿山/伊勢国鈴鹿山で道ゆく人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現(瀬織津姫尊)を、金の烏帽子をかぶり手に大長刀を持つ女人の姿であらわされています。
八幡山/厄除けのお守りを授ける子供たちの童歌が会所から聞こえてきます。お守りを授かり会所に足を踏み入れると、海北友雪(1598~1677)筆の”祇園会還幸祭図屏風”を見落とさず、じっくりと眺めてください。八幡さんの小祠はきらびやかな総金箔張。
鯉山/龍門の滝をのぼる大きな鯉に目を奪われてください。山を飾る前懸、胴懸、水引、見送は16世紀にベルギー・ブラッセルで製作された1枚の毛綴を裁断して用いられています。その図柄はホーマー作「イーリアス」物語の一場面で、トロイのプリアモス王とその后ヘカベーが描かれていますよ。
大船鉾 /かつて凱旋(がいせん)船鉾と呼ばれた。2006年、懸装品を展示する「飾り席」が地元の四条町内で復活し、2012年から唐櫃(からびつ)で巡行に復帰。2014年は150年ぶりに、焼失を免れた大金幣を使った鉾で参加した。
そして今年2016年、禁門の変(1864)の大火で焼失した“龍頭”の復興寄進を受けて、24日の巡行に参加します。