続 醍醐寺枝垂桜を歩く 三宝院・霊宝館編
花の醍醐は桜尽くしで千年健在、クローンで技あり。
伽藍をあとに、仁王門を背にして桜馬場を三宝院へと歩く。
霊宝館塀沿いののっぽの枝垂桜に目が行く。天に向かう枝は昇り龍のように見えた。
真言密教の守護神は「清瀧権現」だそうだ。
清瀧権現はインド神話に登場する八大龍王のひとつで、その善女龍王は害を加えない善龍であり、真言の奥義を敬って出現した八寸(2.5cm)の金色蛇で、九尺(3m弱)の蛇の頂上に位置すると説かれる。
その善龍は、空海が神泉苑で行った請雨(しょうう)修法の際に出現したと伝わる。
その後、高雄山麓に勧請され複数の寺を巡った後、昌泰3年(900年)頃に、醍醐寺開祖の聖宝理源大師により、現在の安置所となる醍醐寺山頂に降臨し留まったので、真言宗醍醐派総本山醍醐寺の守護女神となったという。
そのような伝説を知ると、尚更のこと、枝垂桜の太い枝が龍の化身かと思えてきた。
三宝院の入り口は黒山の人盛りになっている。
境内に千本といわれる桜の中に、豊太閤ゆかりの桜は20本残っていると聞く。
その内の一本がここにある。大玄関前の門からも見え隠れしている三宝院の「大紅しだれ桜」である。
JR東海のCMに使われた桜と言った方が分りやすいかもしれない。
あるいは、TVでお馴染みとなったクローン桜「太閤千代しだれ」の親木といえば良いのか。
いずれの桜も、僧侶が拝観者を出迎える門を入ったところ、通路の左右に座っている。
この三宝院の大紅しだれ桜は、豊太閤が贅を尽くして開いた「醍醐の花見」に集められた枝垂桜の子孫と伝わる、樹齢150年を越す巨大な老木である。
筆舌に表しがたい見事な樹形は、おおらかに伸びた頑丈な枝が空に泳ぐようで、その枝垂れの枝の先々には、こぼれるように咲き誇る花々がついている。
太い幹から分かれる枝は、何本もの松葉杖を突くようにして身を保っていた。
「良くぞ咲いた。天晴れ天晴れッ」と、豊太閤の声が聞こえてきそうである。
その三宝院の大紅しだれ桜は、日本画家奥村土牛が1972年に描いた作品「醍醐」のモチーフとなったことから、「土牛の桜」と通称されるようになった。
しかし、土牛の描いた「醍醐(三宝院の大紅しだれ桜)」は、頑丈に太くどっしりとした幹に、瑞々しく咲き誇る枝垂桜の花の一部であった。
つまり、太い幹を描き、隆々とした枝振りなどは一斉描かれていないのである。
見事に予想と期待を裏切られた構図であった。
ところが、その絵からは、幹や花の香りまでもが伝わってくるようなのである。淡い色使いで、複雑な色の重なりと滲み具合が印象に残り、額縁の外までもが、否、小生の周りまでもが桜色に染まっているように感じた。
作品は包み込まれるような春の穏やかな心地よさを見せ、その力強い樹幹を支える地面の下には、辛く厳しい冬に耐えた気丈な根が張り巡らされていることを思わせる画であった。
土牛八十三歳の目と心に映った「花の醍醐」は、作品「醍醐」で、そう語っているように思う。
改めて、三宝院の大紅しだれ桜を暫く眺めた。
余談になるが、土牛の「醍醐」は、平成9年切手趣味週間の桜の切手にも採用されているのでご覧になるとよい。
三宝院の桜の楽しみは、「土牛の桜」がいの一番で、次にクローン桜「太閤千代しだれ」である。
枝垂桜の寿命は100年から150年といわれる。
しかし、150年もの老齢になると、挿し木や接ぎ木で残すのが困難となるようだ。そこで試されたのが、親木から株分けされ、DNAをバイオ技術を生かし増殖させたクローン桜で、いばらき市にある研究所で成功を治めたものが、「土牛の桜」の向かいに植栽されたのである。
以来毎年、親子が対面して咲いているというわけである。
更に、憲深林苑(けんじんりんえん)という庫裏の傍の茶店のある庭である。
こちらの紅枝垂れ桜も華やかで、桐紋入りの紅白幕に囲われ、赤毛氈の掛けられた茶席とのコントラストがよく似合う。桐紋入りの紅白幕はまさに醍醐の花見を彷彿とさせるではないか。
そして、大玄関から国宝表書院へ行く途中に桜の間があり、「桜尽くしの襖絵」も見られる。
豊太閤の設計した庭として知られる三宝院庭園は国の特別史跡・特別名勝に指定されているが、桜は見当たらず、春の花見に続く秋の紅葉狩りを考えて造られていたという。何故か撮影が禁じられていた。
廊下づたいに見る桃山時代の華やかな雰囲気を伝える庭園は、様々な表情を見せる三尊石組や三段の滝などあるが、そうそうに退散、等伯や永徳の襖絵、醍醐棚なども素通りして、桜咲く霊宝館へと逸る気持ちを抑えるのが精一杯であった。
三宝院参道のソメイヨシノのトンネルは花見気分を増幅させる。
霊宝館拝観の列に並んでいても苦にならないのである。
醍醐寺全山のお宝が収納、展示されている霊宝館は春秋に公開されているが、貴重な文化財も、この季節の自然美には勝てないのか、まず桜に人は群がる。
入口を入るなり、正面の見事な松よりも先に、桜馬場沿いの塀内のしだれ桜に目が行く。
霊宝館の屋根越しに見えるのっぽの枝垂桜の先をも見逃せないのである。
どの花の先が太閤桜だろうかと、桜色の群がりを凝視し、枝振りを頭に描くのである。
霊宝館の玄関を素通りして通路を進み、しゃがみ込んだ。樹齢100年の巨木ソメイヨシノを庭石越しに眺めて見たかったのである。目に飛び込んでくる桜という桜を、構図を幾通りにも変えてシャッターを切りたくさせられるのだ。
暫し眺めては、ファインダーを覗く。この繰り返しが続く。
風景ごと桜を持ち帰りたくなる気分なのである。
巨木の紅しだれが数本ある。いずれも甲乙つけ難い名木で、霊宝館は聞きしに勝る枝垂れ桜の宝庫である。
その一本の隣に、植樹されている幼木に目が留まった。
余談になるが、「エットレリットサスの目がとらえたカルティエ宝飾デザイン展」が開催された2004年に、その開催を記念した植樹である。
醍醐寺の更なるブランディングとそのコマーシャリズムに感嘆する。
まだまだ愛でるほどの木に成長していないが、50年後100年後にはいかなるキャッチコピーが踊り、花の醍醐を謳歌させているだろうか。
クローン桜といい、カルティエ桜といい、話題に事欠かない桜の名所で、受け継いできたモノにだけしがみつかず、その精神を受け継ぎ百年の計を立てていると感心させられる。
現代の日本の政治家も、秀吉らのごとく醍醐寺の僧に見習うところが、まだまだあるように思えてならない。
いよいよ、今や霊宝館名物となった巨大な枝垂れ桜である。
樹齢180年、高さ9m、幹回り3.1m、葉張り東西24m、南北20mという写真に収まりきらない大きさの桜である。
2001年までは藪や建物に隠れ、関係者以外にほとんど知られていなかったものだ。霊宝館改装オープンを機に、世間に姿を表した枝垂桜である。
未だ名のない枝垂桜であるが、醍醐一の枝垂れ桜である。
つまり、世界一の枝垂桜である。これのみに太閤桜と名づけても良いのではないか。
メインディッシュを頂いた後に霊宝館に入館。
これで終わりではない。その隣の報恩院にある枝垂桜が、小生のデザートとなる。
山種美術館
http://www.yamatane-museum.or.jp/index.html
桜の切手
http://kunio.raindrop.jp/stamp-aracart-flower-cherry.htm
醍醐寺
http://www.daigoji.or.jp/index.html