誇れる京の鍋 水炊き
階級社会には鍋物がなかったという
美食家のことを「鍋道楽」、鍋物の具の入れ方や食べ頃などを取り仕切る人を「鍋奉行」と呼ぶ。
室町時代以降には厨房や膳部を司る「台所奉行」や「膳奉行」という役名があったが、「鍋奉行」などという役所は勿論なかった。
「鍋物」というものは階級社会においては全く考えられなかった文化である。
つまり、身分階級が緩み、共に食事をする対等な風土が家族や社会に出来上がってからである。
従って、忘年会において、上司と部下がひとつの鍋で、各々の箸を使うことなどは考えられないことだった。
「鍋物」は江戸時代中期の「小鍋立て」という料理にも見られるが、文明開化前後に新風俗として普及したものであることが伺える。
仮名垣魯文の『安愚楽鍋』(1871)にはこのように記されている。
「士農工商、老若男女、賢愚、貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)。」
また、「鍋物」という単語は昭和30年以前の辞典には載っていないというからその歴史は浅い。
さて、「すき鍋」に並ぶ鍋物というと、「ちり鍋」「寄せ鍋」となる。
「ちり鍋」は、沸騰させたお湯に、薄身にそいだ魚類、貝類と野菜を入れ、ダイダイ酢醤油、ユズ醤油などにつけて食べる鍋料理である。さっぱりとしていて、具材から出る素朴なだし味が楽しめる。
薄くそがれた魚身が“ちりちり”と縮む様子を捉えて、「ちり」と呼んだと聞く。明治以降、刺身を食さない外国人向けにご馳走した記録もある。
「沖ちり」「魚ちり」ではふぐ身は使わず、ふぐをちり鍋風にしたものは「てっちり」と言う。
他方、「寄せ鍋」は、薄味のだし汁に、魚介類、鶏肉(牛・豚を除く)など様々な具を用い、ポン酢醤油でいただく関東発祥の鍋物を意味する。
京都、関西には「水炊き」と呼ぶ鶏料理がある。
ポン酢醤油のたれでいただくのは「寄せ鍋」と同じだか、「もみじおろしのポン酢醤油」である。皮付き若鶏、骨付き鶏肉のぶつ切り、キャベツ、人参、葱を鶏ガラスープで煮るものである。魚介類はいれない。維新の志士達も大層好んだようだ。
そして、どの鍋物も、極め付きは「雑炊」であることを否定する者はいない。
鍋物を食べ終えた後、具を取り出し、煮出し汁にご飯を入れ、少し煮込み、玉子でとじ蒸す。そして、海苔と細ねぎ、柚山椒、黒七味など気に入りの薬味を施すと更に旨みが増す。
「雑炊」のまたの名を「おじや」と呼ぶ。
「おじや」は「じやじやと煮る」という公家女官用語から転じたものであると聞く。
具によって鍋の名前は多々あるが、元来の「なべ」の語源は、「菜(な)を煮る甕(へ)」で、食物を煮る土器を指している。
そして、食べ物を煮炊きするその道具から、鍋料理という文化となっていったたわけである。
毎年11月23日は、日本で最初の中央卸売市場である京都中央卸売市場で「鍋祭り」が催されている。
町場の鍋物屋を渡り歩くのも良いが、一度にどんな具の鍋があるのかを見比べて歩くのも面白いものである。魚の切り身の実演ショーあり、海産物の格安卸値での買い付けも出来る。
是非出掛けられてみると良い。
水炊き 本家 鳥初
http://kyoto-torihatsu.com/
料亭「鳥彌三(とりやさ)」
http://tabelog.com/kyoto/A2602/A260201/26000764/
水炊き 鶏料理 「とり新」
http://homepage1.nifty.com/torisin/index1.htm
水炊き 鶏料理 「新三浦」
http://www.sinmiura.jp/
水だき 萬治郎
http://tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26005739/