剣差し 嵯峨祭
五月はお祭りの毎日
五月晴れ新緑の陽光に映える日となれば、インドアはない。
アウトドアで行楽を楽しまなければ、やがて梅雨入りなのだ。
そこへ持ってきて、五月はお祭りの毎日と言っても過言でない。
上旬の黄金週間に留まらず、中旬の葵祭を過ぎてもお祭りが続く。
いくら祭り好きといえども掛け持ちにも限度があり、じっくり楽しむには、選択して数年にわけて観覧するしかない。
数年前の日曜日には、上御霊(かみごりょう)さんの御霊祭に下御霊さんの下御霊祭、嵐山嵯峨野では愛宕・野宮両神社の嵯峨祭に車折神社の三船祭、加えて東は大原女時代行列までもが同じ日に重なった年があった。
いろいろと見るだけなら、おいで(神幸祭)とおかえり(還幸祭)があるから、組み合わせ次第で週またぎに出掛けるのも工夫のひとつである。
行楽を兼ての五月の最後はというと、例年第4日曜日に催行される「嵯峨祭のおかえり」に、小生は照準を合わせている。
なぜなら、剣差しが見られるからだ。それも五基である。
その五基とは、「麒麟鉾」「龍鉾」「澤潟鉾」「菊鉾」「牡丹鉾」である。
京の祭りで剣差しが行われない荷い鉾移動は残念であるが、嵯峨祭は剣差し鉾なのだ。
他の祭りでも復活してきたとはいえ、まだまだ「飾り鉾」や「荷鉾(にないぼこ)」が多い。
剣差しが執り行われているのは、一乗寺八大神社,西院春日神社,梅ケ畑平岡八幡宮に東山粟田神社、上御霊神社などだが、京都市無形民俗文化財になってから、いくつ復活しているのだろうか。
剣差しは,差し手が腰につけた差し袋に鉾を立たせ、体や足を絡めるように歩き、剣鉾を前後上下に揺らす。
剣鉾につけられた鈴が鉾の柄にあたり、あたる都度チコリーンと鳴り響く。
その剣鉾は長さ10メートル、重さ70キロもあるという。
この鈴の音が、神輿の先導を務め悪霊を鎮めると聞く。
祇園御霊会(祇園祭)の山鉾巡行の原点は、神泉苑(しんせんえん)に66本の鉾を建て疫病退散の祈願が行われたことに始まるといわれる。
その剣差しされた鉾の神輿渡御を先導する様子は「年中行事絵巻」にも描かれている。
興味が湧いてこられただろうか。当日の見所は、正午の大覚寺である。
ここで剣差しが行われた後、立て飾られると、神輿の法要が始まる。
そして、13時には剣差し鉾と神輿は大覚寺を後にし、氏子域を練り渡月橋へと向かう。
嵐亭あたり(平成26年より中之島公園に改定)に剣鉾が立ち並べられ、渡月橋が剣差しでの巡行の晴れの場となり、お旅所まで剣差し鉾と神輿の渡御とが続く。
大覚寺境内で、神官と僧侶が立ち並ばれるお祭りは滅多にお目に掛かれないと思う。
この里祭の謎を解いてみてはいかがか。
春祭最後の嵯峨祭
http://kyotocf.com/column/gosho_column/sagasai/
特集 京の祭りの遺宝 剣鉾 (財団法人京都文化観光資源保護財団)
http://www.kyobunka.or.jp/gaiyou/ken.html
大覚寺
http://www.daikakuji.or.jp/
きょうのきょう
http://www.thekyoto.net/kyoukyou/0505/050523_03/