お釈迦さんの鼻くそ 花供租あられをご存知だろうか
人は執着から逃れられないようだが
香ばしく甘辛い味がする。硬くなった鏡餅を細かく切り、黒豆と白豆とに混ぜ、炒った後砂糖醤油を塗(まぶ)した素朴なお菓子である。
どこで聞き覚えたのか、「お釈迦さんの鼻くそや」と、幼少の頃、はしゃぎながら口にしていたことを思い出す。お釈迦さんの法要のときに振舞われていたので、花供租を鼻くそとかけてなじっていたのだろう。これを食べると、その年の無病息災のご利益があると聞かされていた。
お寺のお堂には絵解き図が掛けられていた。
仏様が横になって寝転んでいて、周りには沢山の色が使われた人や動物がいっぱい集まっている楽しそうな絵だった。
お釈迦さんが仏様になられた旧暦2月15日(現在の3月15日)には、涅槃会(ねはんえ)法要が京都の各寺院で行われる。この頃各寺院は本堂に大涅槃図を掛け開帳している。
涅槃とは、お釈迦さんの入滅、つまり死のことである。辞書には、「仏語。煩悩(ぼんのう)の火を消して、知慧(ちえ)の完成した悟りの境地。一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地。」(大辞泉)とある。
凡夫の日暮しをしている小生には、到底煩悩の火を消すことが出来ず、日々が四苦八苦の状態である。今ただちに、癌告知で余命宣言でもされない限り、種々の執着から解き放たれることがないのだろうか。しかし、癌による生死の苦脳を背負ってしまうのだろう。
癌告知で、生死を分かつ命題に向かい合うのに比べれば、普段の愚痴(ぐち)や貪欲(とんよく)や怒りなど仏典にいう三大煩悩を克服するぐらいは、いとも容易いことである。それを苦と悩み煩わされている自分が恥ずかしい限りである。
仏典を手に取るには、浅学非才の身には気が重い。
どうやら、癒しをアロマテラピーなどのヒーリングルームに求める感覚で、大涅槃図をじっくりと眺めてみるのが良さそうである。
何やらかの新しい発見に出会えそうな気がしてきた。
そういえば、四苦八苦は仏教用語であった。
「生・老・病・死」で四苦、 「愛別離苦(あいべつりく) 怨憎会苦(おんぞうえく) 求不得苦(ぐふとくく) 五取蘊苦(ごしゅうんく)」を加えて八苦とある。
生存に執着して、老いたくなく、病気をしたくもなく、死にたくなく苦しみ悩む。
愛する人とは別れねばならず、嫌な人・憎い人とは会わねばならないし、欲しいものは手に入らず、不平不満が絶える事がないと苦しみ悩む。
どうやら古今東西、人は執着から逃れられないようだから、涅槃図が必要なのだろう。
久々に花供租あられでも食べながら、小生なりの涅槃を考えてみよう
涅槃会の「花供僧(はなくそ)」(京都の和菓子ドットコム)
http://kyoto-wagasi.com/monzen_shinsen/hanakuso.html
清涼寺
http://jodo.or.jp/footprint/07/index.html
本法寺
http://eishouzan.honpouji.nichiren-shu.jp/