三春を愛でる / 梅見・桜見・桃見
薀蓄そのものが文化であり、生きている証である
桃の節句を迎え、雛飾りで祝っていると、季節の空気が和らいできたように感じる。
雛壇に飾られている咲き誇った桜の花が、そうさせるのか。
「陽光の下でいざ花見へ!」と、思いが及ぶ。
古来より京都では、四季折々の風流を肴に盃を重ね、宴が催される。
その血が騒ぐ、というのもあるだろう。
然しながら、花見といえども「桜見」にはまだ早く、ここはまず、2月より咲いている「梅見」か。雛祭りの時期なのだから、「桃見」があっても良さそうだが、あまり聞いたことがない。ところが、桃見はあったようだ。
桃は、梅見に引き続いて上巳(じょうし)の節句(旧暦3月3日)の頃より1カ月の間、女児の邪気を祓い、健やかな成長を加護するように咲いている。
桃見の存在について、江戸に関する知識の宝庫、杉浦日向子は生前朝日新聞のインタビューで話している。
「また花見には三春、梅、桃、桜とありまして、それぞれ愛でて、春の成立となります。役割も違い、梅見は一人、あるいは二人のごく親しい間柄で行く。
桃見は家族連れで家族の親睦を深める。で、花見になりますと、長屋単位、店単位で繰り出して、どんちゃん騒ぎをやる。つまり社会的なつながりを深める親睦会ですね」(『季節の思想人(ビト)』(佐田智子、平凡社)引用) 現在では「三春」を愛でずして、春を迎えていると先人に叱られそうだ。
家族との桃見を忘れ、親友との梅見を等閑(なおざり)にし、コミュニティとの桜見も疎(うと)まれ出している。「これが現代の象徴ですか」と、問われれば、返す言葉を見失ってしまう。
こういう伝統や歴史、習わしやしきたりの話を書く度に、社内での評判を落としている。「終わってる」「古ゥー」「そんなの関係ねぇー」らしいのだ。
リスペクトの欠片は言うに及ばず、「新人類の常識が先人の常識を駆逐するのは歴史が証明している。」と言わんばかりなのである。だが、薀蓄を多く語ることが嫌われようとも、薀蓄そのものが文化であり、生きている証であると考える。だから止めない。
「老兵語らず ただ死すのみ」では寂しい限りである。
文化の間尺や、季節感のない日暮しはしたくないものだ。
春の終わりを彩る、あの儚い桜が咲くまでにも花見は出来るのだから、まず梅見から桜見、そして今年は桃見を楽しむ春を満喫してみよう。当分の間は、開花情報と睨めっことなりそうだ。
『季節の思想人(ビト)』(佐田智子、平凡社)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4582738281.html
季節の花辞典/京都の名所案内
http://www.new-kyoto.com/image1.htm