清水寺千日詣り 宵まいり
ローマ一日にしてならず、千日詣り一日にしてなる。
まことに有り難い参詣を用意してくれている。
千日詣りとは、お百度詣り同様に千日間参詣すれば願意が叶い、ご利益がいただける参詣の仕方かと思っていた。
というのは、比叡山延暦寺の千日回峰行といえば、十二年間の籠山行を終え、百日回峰行を終えた者の中から選ばれた上の七年間にわたる行である。
また、行者は途中で行を続けられなくなったときは自害するという決意で、首を括るための麻の死出紐と両刃の短剣を常時携行し、頭には蓮の華をかたどった笠をかぶり、白装束をまとい、草鞋ばきといういでたちで臨むのである。
その千日回峰行と同じように、千日間要すると思い込んでいたのである。
行と参詣ではこれほど違うのか。千日詣りに参詣すれば、一夜で千日間参詣したと同じだけの功徳となり、そのご利益がいただけるというのである。
そうであるなら、この機会に参らねばなるまい。
京で千日詣りの行われているのは、知る限りで、愛宕神社の千日通夜祭(千日詣)と清水寺の千日詣り、狸谷不動院の千日詣り火渡り祭の三箇所である。
狸谷山の千日詣りは7月28日、愛宕さんの千日詣りは7月31日から8月1日未明に、そして、清水さんの千日詣りは8月9日から16日である。
そこで、清水さんの千日詣りに出向くことにした。
同じ千日詣りをするならと、お盆の14日から16日の間の夜間拝観(19:00〜21:30受付)を選んだ。
この日は観音菩薩の最大の功徳日にあたり、一日のお参りで4万6000日、換算すると130年間毎日お参りした功徳に肖れると聞く。
更に夜間拝観すると、本堂内々陣に開帳されている本尊十一面観音(お前立ち)のご宝前に自ら献灯もでき、結縁の綱を間近で握れ、特別の札が授与されるのである。
この参詣は「宵まいり」と呼ばれている。
同じ一日の参詣でも、詣でる日によってご利益ポイントが1ポイント、1000ポイント、46000ポイントと変わるのである。観光客でもないのに清水寺には行くまいと思い、夜空に突き刺さるレーザービームの光線を見ることだけの多い京都人は、ひとまず46000ポイントを得られるお盆に参詣するのが利巧ではあるまいか。
混雑渋滞が予想されるこういう時に清水寺に向かうには、清水坂や五条坂は通らないことにしている。
五条通から五条坂に入り、間もなくのところを右前方に茶碗坂の方へ入る。道なりに三重塔が見え始めるところまで進み、右手のコインパーキングに車を駐車する。
そこから、三重塔に向かって歩き仁王門までは3分とかからない。
観光気分に浸りながら散策するなら、産寧坂から清水坂へと歩くのも悪くない。
お盆の所為か土産屋などで営業をしていないところも見受けられるが、千日詣りの提灯が普段のライトアップの時と参道の趣を異にしている。小生は帰り際に清水坂を歩き、途中茶碗坂への抜け道に入ってゆく。
西門、三重塔のライトアップに魅了されながら歩いていると、その左手に鐘楼が浮かんでいる。そして、真っ赤に燃えあがるように楼門が見えてくる。それは夕闇を背景に浮かびあがる仁王門である。
音羽山の暮れなずむ空に向かって、立ち並ぶ寺院建築の壮大かつ優美な姿に感動を覚えないものはいないだろう。
際立った一条の青い光の束が天空を目指して三重塔の塔先を通った。
音羽山から放たれた光源は十万億土の冥界にまで届いているかのようにも見える。
そのレーザービーム光線の解説や由来を見たことがないが、単なるライトアップの演出と言ってしまえば素っ気がない。
冥界と現世を行き来する霊魂の通る光のトンネルを暗示していると、小生は目の前の情景を絵解きしたくなってきた。
後に、その光源の在り処を辿っていくと、本堂と釈迦堂の間にある西向地蔵堂の背後あたりからであった。残念なことにそれ以上奥に立ち入ることは叶わなかった。
拝観受付を済ませ、「阿阿の狛犬」の座る仁王門の石段を上がる。
見上げると、掲げられた扁額には見慣れない書体で揮毫された寺号の文字が光り輝いている。視界に左右の仁王像に睨まれているのを感じると、やましいことなどないのだが視線を返せないで、足元の石段を見つめてしまう。
この仁王の身長は京都最大級で365?もあり、その気丈な姿に、自ずから謙虚な気持ちでの参詣に導かれているようである。
本堂に続く参道の両脇には露地行灯が灯され、暗がりの道標よろしく順路が分かりやすくなっている。
ライトアップとは対象的な、ほのかで優しい灯りの露地行灯に案内され坂を上がると、随求堂(ずいぐどう)がある。
本尊の大随求(だいずいぐ)菩薩の堂下に設けられた真っ暗闇の空間を数珠を頼りに巡るという参拝である。大悲母の胎内に見立てた手探りの暗闇が暫く続く。
明けの明星を見て悟りを開かれたお釈迦様のように悟りはできなかったが、明るいところに出たくなる体験とともに、お化け屋敷とは全く異なる心身の新生を覚えた。
随求堂をあとに、経堂、田村堂、轟門、廻廊と進むと、いよいよ本堂である。
出世大黒天の前に「千日会執行」の木札が掛けられていた。舞台の先には六条山の稜線と子安の塔が遠くに見えている。往時風葬地だった鳥辺野の夜景の面影は残されているのだろうかと思いながら眺めた。
元来、ご本尊に舞楽を奉納する神聖な舞台であったところも、今や参詣客の眺望場所となっている。その舞台から本堂の中に入ると、一変して厳粛なムードが漂う。
堂内は巨大な柱で内陣と外陣が区分され、開帳されているご本尊は内陣の最奥中央の厨子内に安置されていた。
堂内を一周してご本尊との対面となる。ご本尊千手観音菩薩立像(お前立ち)の左右には、風神雷神像に眷属である二十八部衆の脇侍が居並んでいた。
33年に一度開帳される(前回開帳は2000年)秘仏千手観音菩薩立像、地蔵菩薩像、毘沙門天像の三体は内々陣に安置されており、内陣を一周する裏側よりおまいりし、正面では灯明をあげさせて貰った。未だ、辛いことのある時にしか合掌出来ない小生であるが、聞く耳をお持ちいただいているのだろうかと、その時ばかりの反省をする。
本堂を後に、宵まいりの余韻を西門あたりで味わうことにした。
市内の夜景が一望できる上、風が通り夕涼みには絶好の場所である。開け放たれた西門の間から見える夜景は現世で、扉より内側にいる自分が、浄土から眺めているような心地になれるのである。
この年は普段閉ざされている三重塔の一層の扉が開いていた。帰宅間際に安置されている大日如来坐像を独り占めに対面合掌する時を得られた。
清水寺
http://www.kiyomizudera.or.jp/index.html