紅葉紀行 陽だまり東福寺山内
春のサクラは修行を妨げるなら、燃えるモミジはいかばかりか
例年、京の紅葉の見頃は11月の中旬頃からである。
初旬にモミジは色づき始めるが、サクラやケヤキなどが一足先に見物に値する色合いを見せている。梅もどきなどの赤い実も鮮やかで、小鳥が啄ばんでいる場面にも出合う。
世俗を離れ、そんな自然の営みを眺め、秋の陽だまりに身を置く時間はこの上ない贅のひとつである。
♪ ・・・お縁側には陽がいっぱい たんとんたんとん たんとんとん ♪
などと、鼻歌が出てくるものなら、ヒーリング効果はてき面でメンタルケアは成功である。抗うつ薬もカウンセリングも必要なくなるだろう。おそらく、ぐっすりと安眠できる。
また、直向に走りつづけていると忘れてしまいがちなことや、見失っていたものに気づくこともできる。
思い立てば、繁華街やオフィスを離れ、方丈の縁に腰を掛けて、時を過ごしてみてはいかがだろうか。
小生は陽だまりの縁を求め、週末に寸暇を惜しんで東福寺に足を向けた。
その縁を、秋のみに特別拝観している塔頭東光寺と決めた。混雑していれば、偃月橋(えんげつきょう)あたりを回ることにしたい。
東福寺には三つの橋があるが、通天橋を避けたのは観光バスでの見物客と一緒になるかもしれないからである。
本堂と開山堂を結ぶ通天橋の一帯は洗玉潤(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷で、その眺望は絶景ゆえ、紅葉の名所として夙に有名である。
通天橋の張り出しから望むも、谷に続く散歩道から見上げるも実に良い。その紅葉は楓を中心に約2000本と言われている。
その木々の数だけではない。葉先が三つに分かれた「通天モミジ(トウカエデ)」や、唐紅の美しさなど、こまごま観察するも楽しいものである。
その絶好のポイントは他府県からの観光客の方にお譲りし、小生は行き帰りに通る臥雲橋から、洗玉潤の紅葉と通天橋の姿を、橋廊の柱を額縁に見立て観賞しながら、陽だまりの縁にあがれる塔頭を拝観することにしたい。
東福寺山内に入るには、北門、中門、南門の三箇所がある。
京阪東福寺駅で下車し、伏見街道を南へ東山橋の高架下を潜り北門に向かう。
北門を潜ると、仁王さんのいない仁王門を左に見て、退耕庵を右に霊源院の前を右に曲がる。
霊源院のピラカンサの赤い実が鈴なりである。退耕庵の長く続く塀に沿って行くと、土塀の土が落ちていて、生成りの地肌に菱形の模様が見え、編んで混ぜ込まれた竹ひごが無残にも垂れている。悪戯であろうか、風情としては映ってこない。
補修せずにこのままの方が、教訓となるのではと感じた。
平行した向かいの龍源庵の土塀は石積みの上にあるせいか、傷一つなく気成りの土茶色が美しく、塀を覆うように伸びた青モミジに射す光が土塀に枝葉を映している。
円く弧を描いた土塀の先に、漆喰の白壁と高く伸びた通天橋道を示す石標が見える。
角に見える漆喰の白壁は栗棘庵である。秋には紅葉を観ながら京料理高澤の弁当がここでいただけるような塩梅である。門の中を窺うと、早々とモミジが見頃ではないか。
栗棘庵から通天橋道の両脇には塔頭が並び続く。真っ直ぐに進むと左手に月下門、続いて洗玉潤を跨ぐ臥雲橋を渡ると日下門の前である。
塀づたいに参道をゆっくり歩くと、流石に紅葉の名所とあってかモミジの多さに驚く。
次に竹林に気づくが、サクラが見当たらないことにも気づく。
寺伝によると、足利四代将軍義持が、境内の桜木をことごとく伐らしたためだとある。
その訳は、毎年涅槃絵(ねはんえ)に公開される国内最大級として名高い「大涅槃図」を描いた吉山明兆(きつざんみんちょう/1352~1431年)の願いを、涅槃図にいたく感嘆した義持が褒美として聞き入れたからである。
明兆曰く「財産や人爵の望みは無いが、ただ本山の衆徒が桜を愛するあまり、境内に桜木が多過ぎて恐らく近い将来には遊興の場と化すであろう、よって願わくばこれを禁じられたい」と。
殿司(でんず)として入山し、もっぱら法要の法具となる絵画製作を託されていた明兆が57歳の時のことである。
「春に咲くサクラは心をワクワクさせ修行の妨げになります。山内に10本位しかないでしょう。」
そういえば、東福寺管長福島慶道老師のインタビューの時のコメントを思い出した。
目指す東光寺は、日下門外の参道を南へ、摩可阿弥の森の南隣である。
参道にせり出した青モミジはところどころ色づき、光の具合で多様に見える。
この葉が黄葉し真紅になってくれば、サクラでなくとも小生はワクワクしてくるといえば出家していても破門となるだろうか。
憎まれ口を叩いているのではない。東福寺の微細な紅葉にも感動しているのである。
東光寺の山門前に着いた。庫裏の屋根横に沢山の花梨が生っている。頭を垂れると南天の赤い実が、更に足元にはフサフサとした苔が瑞々しい。庭に目を遣ると金茶赤茶の紅葉が見受けられる。
方丈へと足を運んだ。本尊文殊菩薩像を真ん中にして、左右に等身大の木造禅師像が座る。
振り向くと、その瀟洒な庭園は東福寺の他の塔頭とは趣が異なり、作り込こまれていない自然な風情である。
障子やガラス戸が開け放たれ、庭の木々も朝の陽光を浴び、畳に敷かれた毛氈までもがその光を天井に返し、室内が赤く染まっている。
一面苔に覆われた庭にある一本きりの金茶色のモミジは、やがて毛氈の真紅と競い合う赤に染まるであろう。
縁に差し射る陽だまりが永遠なら、この場でこのまま真紅に染まるのを待ちたいと思った。
東福寺
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臨済宗東福寺塔頭 東光寺
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栗棘庵(りっきょくあん)/ 京料理 高澤
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