ヴォーリズの京都に残した洋館
足跡を追へば何が垣間見える
またまたデパ地下へ昼食の買出しに出かけた。これは外食ランチが手詰まりになったときの小生の定石である。
行き帰りの出入り口は北の錦小路通側とお決まりなのだが、その日は大極殿本舗でお茶請けを買って帰る約束をしていたので、東の高倉通の出入り口を使うことにした。
先着順でチケットなどが売り出されたりする時、大丸さんの常連さんは開店前のその出入り口に必ず並ぶといわれている。
エレベーターにも近く、大丸さんの出入り口で一番出入りの少ない出入り口であるからだ。開店と同時に入店しても、売り場に真っ先に着ける出入り口なのである。
地下食品フロアーの「ごちぱら館」で惣菜を買い集め、高倉通の北の階段を上りはじめた。
改修工事中で養生壁になっている。おやっと思い、一階に上るや四条通の方を眺めると、不安な思いが的中したようだ。
高倉通に面した南の出入り口のオーナメントが外され無くなっていた。
更に上を見上げたが、最上階までの外壁は未だ残されていて、最下部の窓の柵もある。
この先、工事はどうなるのだろうかと心配が残る。
東南の高倉の出入り口は、北の錦小路、西の東洞院、南の四条の現在の出入り口には見られない意匠で、時代観を感じさせる大丸さんの竣工時の内外装が保存されている場所で、大好きなところである。
好からぬ予感が走った。
慌ててティファニーの見える入り口から、四条の地下道に続く左脇階段を覗きこんだ。
正面の壁に正方形を斜め45度に二つ重ねた意匠(八芳星)が見えたので一安心した。アラベスク風の屋根型天井も残されている。
そのまま階段を下り、壁面の大理石を撫でながら、蛍光灯の吊るされた天井に、吹き抜けの壁にと目を配る。そこにも八芳星のデザインが用いられている。
これは建築家ヴォーリズの作品に多用されているデザインのひとつである。
階下から階上を振り返り、見上げた。
この場所が改修され、このまま保存されるならいいのだが、四条通の玄関も壁面も現代風にすっかり変えられた過去があることを思うと、保存改修される保証などない。
愛されるレトロな空間が街角から消え去ることを、忍びがたいと思うのは小生だけではあるまい。町家だけではない、近代の洋館にもいえることである。
明治の文明開化の建築物は頑丈な石造りやレンガ造りが多く、三条通や烏丸通などに、その存在感を表わし保存されている。
しかし、大正から昭和にかけて建造された多くは木造モルタルの洋館が多い。
耐久性から考えても限界を超え、今の世代で保存継承しておかなければならないのである。
その洋館の多くを手がけたのは、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964年)である。
米国カンザス州生まれのヴォーリズは、英語教師として24歳で来日し、1908年、京都三条YMCAの一室に建築設計監督事務所(後のヴォーリズ建築事務所)を開業している。
京都は言うに及ばす、その建築作品は全国に広がり、確認されているだけで1600を超えると聞く。単純計算でも、生涯毎月2棟以上を建て続けていたことになる。
ヴォーリズの作品でよく知られるものを挙げると、烏丸丸太町上る西側の大丸ヴィラ(旧下村邸 1934年)はご存じであろう。更に、四条大橋西袂の北京料理東華菜館(旧矢尾政レストラン 1926年)はどうだろうか。
ヴォーリズの建築のイメージがより浮かんでこられたであろう。
大丸ヴィラは現在、非公開で塀の外からしか見られないが、英国で16世紀に流行したチューダー様式で設計され、木々の間からは木造風に見えるが、実は鉄筋コンクリート造りである。以前は大丸さんの展示会などで使われていた。是非公開してほしい。
触れてみたいのなら、今も営業で使っている東華菜館に行かれると良い。
東華菜館は建築予算に相当な余裕があったのか、ヴォーリズの遊び心があちこちに窺える。屋上に建つシンボリックなスペイン・バロック様式が、鴨川に、四条大橋に、とても馴染んでいるから不思議である。
対岸の南座と双璧を為し、京都の伝統と創生のメッセージを象徴しているかのようである。
四条通に面する玄関に立ち、アーチの上部飾りを、とっくりと是非眺めていただきたい。魚や貝、蛸に山羊だろうか、目に入るレリーフされたテラコッタに思わず声を漏らすこと請合いである。
館内にはヨーロピアンでレトロなエレベーターが今も稼動している。
神社仏閣に留まらず、京都の自慢のひとつに上げても可笑しくないと小生は思っている。
ヴォーリズの建築は、キリスト教の教会や学校にも多い。
というのは、故郷米国の大学時代よりのYMCA活動を通し、熱心にプロテスタントの伝道に務めていたことによるものであろう。あまりの伝道の熱心さに、来日して3年で英語教師を解職された程である。
日本基督教団京都御幸町教会(1913年)や日本聖公会京都復活教会(1936年)、同志社大学今出川キャンパス内の図書館(啓明館 1920年)やアーモスト館 (1932年)、致遠館 (1916年)などは、それらの例である。
今秋は、ヴォーリズの建築がどんな状態になっているか見て回ることにしたい。
調べてみると、北白川の駒井家住宅(旧駒井卓邸 1927年)や烏丸今出川のバザール・カフェ(旧B.F.シャイブリー邸 1919年)だけではなかった。
救世軍京都小隊、京都大学YMCA会館、京都府立医科大学YMCA橘井寮/主事宅、同志社大学新島遺品庫、日本基督教団錦林教会、京都YWCAサマリア館など、未だ知らないところも多い。
1941年、日本に帰化し一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名、1945年、終戦直後にマッカーサーと近衛文麿との仲介工作を行い、「天皇を守ったアメリカ人」とも称されたヴォーリズが、京都に残したものがわかるだろうか。
V.M.ヴォーリズ ライブラリ
http://vories.com/
一粒社ヴォーリズ建築事務所
http://www.vories.co.jp/index.php