京鍋料理 / 湯豆腐
豆腐百珍で湯やっこが絶品と評される
京の門前、観光地を訪れると「湯豆腐」の文字にやたら出くわすものだ。
湯豆腐と言えば、京都と誰もが口を揃えて言う筈である。
鍋に昆布を敷き、水を張り、ただ豆腐を入れこみ、豆腐が温まりぐらりと動いたところで、引き揚げる。これが湯豆腐である。材料が豆腐、水、昆布だけの、なにしろシンプルなものだ。
それだけに素材の品質が問われることになる。とりわけ水が命である。
その水は、京都がいつの時代にも、自信を持って誇れるもののひとつである。
二代目市川団十郎は「水 水菜 女 染め物 みすや針 寺と豆腐に 黒木 松茸」と、「老いの楽しみ」(1742)で、京のよきものを口上している。
さて、「豆が腐る」と書く豆腐だが、日常的にいちばん常食され親しまれている食べ物である。
中国伝来の豆腐は、日本だけでなく東南アジアでも様々な豆腐が食されている。
「腐る」という表現を嫌う日本人は、「豆富」「豆府」と記したこともあったようだが、そもそも「腐」とは「固めたもの。柔らかく弾力性があるもの」とを、意味する文字だった。
とすると、豆腐とは「豆を柔らかく固めたもの」という意味の語句となる。元来、決して腐らせたとの意味ではないのだ。
遣唐使以来仏教とともに伝来し、「唐府」と記され、貴族や僧侶の特権階級の食物だった頃から、江戸時代には庶民に食されるようになり、今も飽きられずに愛され、食べ続けられている基本食品なのである。
その豆腐が鍋物として登場し絶賛されていたことが、江戸時代(1782年)の料理本「豆腐百珍」に記されている。
その名は「湯やっこ」と呼ばれ、7ランクに区分された最高位の「絶品」に上げられている。
「絶品」とは、「珍しさ、盛りつけの綺麗さに囚われることなく、ひたすら豆腐の持ち味を知り得るもの」に与えられた称号である。
さて、京の町の門前豆腐屋は多かれど、東の入り口になる南禅寺が京豆腐、湯豆腐のルーツである。にがりの効いた豆腐で「南禅寺どうふ」と呼び習わされた。
ちゃっかりしたもので「南禅寺どうふ」の商標登録をしているのは大本山南禅寺なのである。
この冠を使うには商標使用許諾を受けなければならないことをご存知あるまい。
そして、南禅寺界隈で湯豆腐を始めたのは「奥丹」である。
開業当時から精進料理を提供していた「奥丹」が、大豆からにがりに至るまで自家製で作り上げた湯豆腐をお品書きに入れるや、人気を得て大繁盛となった。忽ち、門前界隈は湯豆腐屋が立ち並ぶようになったのである。
江戸時代の京都のガイドブックに当たる『都林泉名勝図絵(全9巻)』には、湯豆腐が京都の名物料理として紹介され、「丹後屋」という名が記されている。
「奥丹」は、三店の茶店を出していた丹後屋が持つ一軒であったのだ。
しかし今は、観光茶屋の湯豆腐になってはいないだろうか。
七輪に土鍋の使用は大変結構だか、固形燃料は止めて貰いたい。
その臭いが鼻につくからである。
洛中に数ある湯豆腐であるが、まず東の「南禅寺豆腐」と西の「嵯峨豆腐」との湯豆腐食べ比べをなさってみるのが、味なものではないか。
湯豆腐や いのちのはての うすあかり (久保田万太郎)
豆腐の歴史 (日本豆腐協会)
http://www.tofu-as.jp/tofu/history/09.html
湯豆腐はこうして京名物に! (ウォーカープラス)
http://www.walkerplus.com/kyoto/board/ichioshi/14/1.html
湯豆腐杓子 /くらしの良品探訪
http://www.asahi-mullion.com/mullion/column/ryouhin/31015index.html